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たいへん素晴らしいお話を各登壇者の方々から拝聴することができ、有意義な時間を過ごさせていただいきました。
司会者の山本閉留巳氏より、「日本人は怒っている」ということを、万景峰号の入港中止においこめたその勝利1回のことで終わらす・許すのではなく、これをきっかけにして納税者としてももっと政府に働きかけて「行動」を起こす・仕事をしてもうらよう引き続きわたしたちは声を挙げていかなかればならないとの力強いアピールがあり、会は始まりました。
飯塚繁雄氏(家族会、田口八重子さんの兄)の御登壇です。
何百万分の一の確率でたまたま条件があったから拉致されてしまったのだろうと、妹様である田口八重子さんの事件を振り返る飯塚繁雄氏は、ごく普通の市民でありながらも受けたその壮絶な悲しみを聴衆に伝えていただきました。横田さんはじめ各ご家族と家族会を結成され街に出て署名運動をされた時のご苦労は尋常ではなかったようですね。政府による「ことなかれ主義」の為に思うように進展を見なかった事件解決へ至る道筋も、大韓航空機事件を境にマスコミにも取り上げられ騒ぎになったことで活路を見いだしたようですが、それも結局は「家族の為になにをしてくれたか」という思いにぶつかることになり、それ以来マスコミとは一線をもつようになったその事情を聞くにおいて、昨年の9.17迄のぼく自身の拉致問題に対する関心の無さというものをあらためて省みる思いにかられました。氏は昨年のジュネーブで開かれた国連人権委員会強制的失踪作業部会に参加されたおり、現地の担当の方々の、拉致事件を自分の事として考え悲しみ憤ってくれた姿を多々見ることになり、深い感動を覚えられたそうです。そして現在、各国が「圧力」という形で北朝鮮に強い態度で対峙してくれる様を見るにおいては、「ようやくここまできたか」との感慨をもつに至ったそうです。そして日本の状況を振り返り、まだまだこれからであることを感じるそうです。一歩も後を引けなくなったであろう政府に対する思いは厳しくもあり、しかし氏のそれでも不安を感じつつも安倍さんを頼りにし、決して一枚板ではない政府に対する要求というものを失ってはいない姿に、ぼく自身もこれからも継続して政府を後押しする行動が求めれているという気がつのりました。今回の万景峰号阻止行動を通して、氏は確かに今回の入港中止は運動の賜物であり勝利ではあるが、他の船舶の問題もあり、これからも引き続きヌケ道を防ぐためにも厳しく法律改正なども含めて経済制裁などの対応が求められていると訴えられました。氏のおっしゃる通り、交渉とは威厳をもって妥協を持たずにやってこそ「圧力」であるのですね。今こそ国の主権レベルの次元で国の姿勢を見直すべきだと語る氏に大きくうなずくものでした。氏は認定者以外にもまだ多くの被害者の存在があることをあらためてぼくたちに問われ、「国民の安全を守る気概を国はもつべきだ」と強く訴えられました。全く同感でした。そして被害者と同じ境遇になってお1人お1人が考えていくことが、拉致問題の解決に結びつくのであるとも。氏はあらためて政府のバックアップをこれからもしていく決意を表明され、最後に「わたしたちの活動を暖かい目で見ていただき、応援してください」との言葉で講演を締めくくられました。ぼくはこの「政府のバックアップ」という決意を聞いて、ぜひすべての政府機関におられる方々に聞いてもらいたい気持にかられます。言葉は悪いですがこれまでご家族は何度も政府省庁の政治家役人に煮え湯を飲まされてきた経験がありながらもなお、彼らをバックアップしていきたいとのお気持ちを示されているその姿になんとしてでも政府は応えるべきであると思うのです。おだやかにお話をされる氏が秘めるその慟哭の心情というものに、ほんの少しだけですが触れた思いがしました。氏の心の中の本当の悲しみを理解することは到底無理であると感じつつも。(ちなみに氏が参加されたジュネーブの国連人権委員会強制的失踪作業部会に外務省のあの平松氏が提出した書類は当初たった10行の文章しか記されていなかった…あわてた現地のご家族と有志のかたがしっかりとしたものを徹夜で作り直して再提出した、というのは有名な話しですね)
本里福治氏(万景峰号を阻止する会会長)の御登壇です。
本里福治氏はとてもエネルギッシュな方でした。冒頭の「こんにちは!」という声が活力を与えてくれました。北朝鮮の帰還事業の当初より「地上の楽園」に疑問をもって活動を始められた氏は、帰還を前にして催されるセレモニーの会場に足を運んでは「地上の地獄」に朝鮮人はともかくも日本人妻はいくべきでないことを長く訴えられてきたそうですが、全く効果がなかったことを回想されておりました。それからのち7年ほどは北朝鮮での現実を徐々に彼らが認識をしだしたせいか帰還する人が減ったこともあり、あまり活動をされなかったそうですが、朝銀問題をきっかけに再び活動を始められたそうです。(ここで氏は日本の強制連行について言及され、これが「ウソ」であることを断言され、戦後以来全ての人に本国へ帰る門戸は開けられており今残っているのはあくまで自ら望んで残っているわけであるから、その原因を日本の過去のことに求められても困るというような趣旨の話を突然されていましたが、ぼく自身はさすがにこのお話が今回の集会と直接どう繋がるのかその意図が見えなかったので少々とまどいました。)ここで氏は「わたしたちの本当の敵は『日本人の日本人による日本人の為の政治を行ってこなかった人たち』である」と力強く唱えられました。その真意は、米国が何事も「国策」をもって行動をしているのと同じく北朝鮮もたとえ犯罪といえど「国策」にのっとって行動をしてきた、しかるに日本はどうであろう、日本はこれまで「国策」というものを持ってはいなかったのではないか、つまりは『日本人の日本人による日本人の為の政治を行ってこなかった』ということであると。なるほどと思いました。時に一部政治家官僚が必要以上に度を越してまで、まるで北朝鮮の代弁者のごとく発言をして行動を重ねてきいろいろな形で日本の政治を左右してきたことを思えば氏の憤りは全く的を得ていると感じます。氏はそのような政治家を日本から追い出すべきであるとも言われ、そうすれば万景峰号などの船舶は日本に来なくなるであろうと予測されます。「本当の勝利は日本政府がはっきりと北朝鮮に“万景峰号よ来るな!”と言えた時である」と語威を強められる氏は先の6.9以前での新潟埠頭でのことを例にあげられ、誰もが自由に本来出入りできるはずのあの埠頭が立ち入り禁止になるその理由を「混乱があるから」とするならそもそも入港を許可しなければよいことであると、大いに憤慨をされておりました。このことまた、氏が先に唱えるところの『日本人の日本人による日本人の為の政治を行ってこなかった』に再び結びつくわけです。日本人も北朝鮮の人もともに幸せになれるようなそんな政治をしてくれる政府であるべくともにがんばろうとの力強い言葉を最後に氏の講演は終了しました。
ソン・ユンボク氏(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会事務局次長)の御登壇です。
長い年月北朝鮮に人質を取られた状態でなにひとつ真実を声を大にして言うことができなかった多くの在日朝鮮人がいて、一方でリスクを承知で活動をされている拉致被害者ご家族へ敬意を持っていると語りはじめるソン・ユンボク氏からは、二つの、帰還事業を通して発生した事件のお話を伺うことになりました。それは大変ショッキングな内容です。
氏の叔父様は1946年に朝鮮人の権利を求めて突如首相官邸に陳情に向かった10人の中の一人であったがGHQにより韓国へ追放されたそうですが、後韓国から北朝鮮へわたり結局はかの地で殺されたそうですが、まだ日本の親族がその事実を伝えられていない時期に北朝鮮より「叔父さんを日本へ帰してあげるから1億円用意しろ」と連絡があったとのこと。なんとか必死にかきあつめた1億円をもって指定された万景峰号が停泊している埠頭までいくと、甲板よりメッセンジャーと思しき人からから金を渡せと言われたが、「叔父さんをまず見せてください」と要求しても、2時間たってから「今はまだ具合が悪くて動かせない」と拒否され「ではタンカにのせて新潟の病院に」とあらたに伝えても要領をえぬ回答を繰り返すばかりで結局その日は金を渡さずにいったん引き上げたそうですが、翌日今度は船長とおぼしき人間が甲板にあらわれ「叔父さんにあわせてあげるから甲板へ上がってきなさい」と告げられ、さすがに「本当は叔父さんは船には乗ってはいないのでは」と疑いの気持を示したところ二度と現れなかったそうです。事の顛末が釈然としないまま埠頭をはなれ、お金は元借りた人たちへ返したとのことですが、後々、叔父様がすでにずっと以前に死亡していたことがはっきりしたそうです。
もう一つは、日本の大学を卒業したばかりのある在日の青年が希望する就職難で悩んでいる時、帰還事業のノルマを果たすべく近づいてきた人間に「北朝鮮」へ行くことをそそのかされ、説得され断ったもののしつこく説得されたためにとうとう家族4人で北朝鮮へいくことになった話しです。現地へついてみてまわされた職場がなんと「農場」。本人は「話が違う」と大いに憤ったそうですが、そこで伝えられた農場配属の理由が「お前は日本のスパイだ。だから希望する職業へはつけられない」とのこと。結局これ以降日本の親族への連絡が途絶えたそうです。ところが10年後に総連から「あなたの兄(弟が連絡を受ける)は北朝鮮で現在山にこもっている、ついては5千万円用意すれば平壌に住めるようにする…と北朝鮮より連絡があった」との知らせを受けたそうですが、おかしいと思いつつ結局これもその兄の奥さんからの連絡により兄がすでに死んでいることがわかったそうです。
ソン・ユンボク氏曰くこれらの類の話は枚挙に隋がないとのことです。全くもって驚くばかりです。氏は、世界では日本が一番北朝鮮の実情を憂いてくれており、人権蹂躙問題に関する意識も高い、なにもしない韓国に比べて日本が北朝鮮をよりよくするために果たす役割は大変大きいと期待を寄せられました。このお話をきいてぼくは横田早紀江さんが常々、時にご自身の娘さんのことを話されるよりももっと多くの時間をさいて北朝鮮で塗炭の苦しみにあえぎ事あらば強制収容所に送られつづけられる罪もない人々へ想いをはせられるお話をされることを思い出しました。横田早紀江さんはじめ日本のご家族が、有志の方々が、そしてソン・ユンボク氏はじめ在日の方々がともに力を合わせて北朝鮮問題・拉致問題の解決に向けて心をあわせているのだというその姿を合わせ見た思いがしました。
最後に氏は、「もう総連にはうんざり」と言葉を続けられ、9.17をきっかけに在日朝鮮人も平和な日本にあって少しは「考え始めている」が、これらの話を通して得る人間としての憤りをもし知ることがない人が周りにいれば伝えてほしいと訴えられ、北朝鮮の人々が人間として全て解放された暁には東京ドームで祝賀会を開きたいと近い将来でありたい希望を静かにしかしながらしっかりとした言葉で伝えられ、講演を終了されました。
野村 旗守氏(ジャーナリスト)の御登壇です。
「わたしはキワモノジャーナリスト」と自己紹介をしつつ話を始められる氏は、まず革マルのことに言及され、60〜70年代においてかつては革命思想をもって日本を乗っ取ろうと画策し行動をしていた左翼も現在は単なる犯罪集団と化しているがごとく、北朝鮮も当初の理想をめざすための行動の数々がそれ自体が「目的化」している現実を解き明かされ、ついで現在もJR組織に入り込んでは新幹線転覆未遂事件をおこしている事実にも言及されました。氏はここで唐突に「今までの話の骨をおるようですが」と断りつつも「いまさら万景峰号入港を阻止できても、意味があるかといえば疑問視せざるえない」と話され、ぼくとしては先ほど本里福治氏の万景峰号入港を阻止に対する熱い想いを伺ったばかりであったために、一瞬困惑をしてしまいましたが、しかしながら氏の話を聞き続けることで万景峰号入港阻止運動はそれはそれとしても、なぜこうまでして北朝鮮は批判を承知しつつも船を日本に寄越そうとするのかその理由を説かれ、万景峰号にだけ目を向けるのではなく他のルートにも目を光らせることを切々と説かれていることに気づかされました。すなわち10年ほど前に実は万景峰号が果たすべき任務はピークに達しており、本来はその時期まで日本政府は徹底して調査をするべきであり、それ以来は他のたくさんの秘密ルートから人々の目を遠ざける目的として今日まで入港を続けていると氏は断言され、重ねて万景峰号にだけ目を向けるのではないことの重要性を訴えられました。氏はこれまで北朝鮮への送金問題に関する著書を出されるなど深く関わりをもってこられておりますが、最後に「北朝鮮による撹乱戦に気をつけなければならない」との強い言葉を残され講演を終了されました。
この後各主催団体の長からいくつかのこれからの活動に対する意欲を聞くことになりましたが、さしずめ近い将来の予定として「救う会」では7月6日に神奈川県大井町での街宣活動があり、その場で蓮池透さんをお招きしての救う会初の「ラジオ公開録音」を実施するとのことです。近いうちにみな様にネット、またはメール配信をとおしてお伝えする予定であるとのことですから、詳細を待ちましょう。
みなさま貴重なお話をありがとうございました。またこの機会を設けていただきました主催団体の方々ボランティアの方々へこの場をかりてお礼申し上げます。
日系アメリカ人様 投稿
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