国際シンポジウム 『北朝鮮に人権を!』(Human Rights for North Korea !!)

日時:平成16年11月2日
場所:東京・弁護士会館
参加:デビット・ホークさん、金英順さん、野口孝行さん、藤田隆司さん、増元照明さん、横田ご夫妻、荒木和博さん
   北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会名誉共同代表の小川晴久さん
   北朝鮮による拉致被害者の救出にとりくむ法律家の会 共同代表の木村晋介さん


【デビット・ホークさん
(アメリカ・アムネスティーインターナショナル前理事、ヒューマンライツ・ウォッチ・アジア顧問。国連人権高等弁務官カンボジア事務所監督者として国連勤務。「北朝鮮―隠された強制収容所」著者)

 まず、北朝鮮人権アメリカ委員会を代表しまして、また私自身から皆さまに今日感謝を申し上げさていただきたいと思います。また日本のNGOの仲間の皆さま、そして私の「The Hidden Gulag」を訳してくださいました訳者の方々、どうもありがとうございました。

 私はこの「The Hidden Gulag」日本語版は、「北朝鮮隠された強制収容所」という本を通しまして国連の役員の方々、そして外交官・ジャーナリスト・研究者の方々が、北朝鮮についての証言・証拠をよく知っていただきまして、これが北朝鮮政府によります残虐行為・抑圧、そして政治犯を入れる「強制収容所」の存在を否定するということを、またそのことに対してそれを否定できますように、ぜひ利用していただけましたらと思います。この私が書いた本が、北朝鮮が主張しております「すべての残虐行為の否定」を反復できるようなものとして使っていただけましたら、大変ありがたく思います。

 このような報告書は2001年・2002年・2003年以前には書けないものでした。何故かと言いますと、それまではなかなか脱北者に接触することができなかったからです。つい最近多くの北朝鮮からの難民が、特に1995年に飢饉が国を襲って以来、食料を求めて中国に逃れています。中国には現在、5000人から6000人の脱北者がいると思われます。また、その方たちは亡命者として韓国へも逃れております。そしてようやく初めて学者やジャーナリスト、そして私のような人権擁護者がそのような脱北者から報告を聞き、このような報告書を出すことができるようになりました。

 韓国の人権NGOの方々の協力を得まして、北朝鮮にあります「強制収容所」の35人の元政治犯収容所に入れられていた人たちなどにインタビューを行うことができまして、詳しくそれぞれの人たちが入れられていた収容所の違いなどについて、知ることができるようになりました。

 今日私が皆さまにお伝えしたいことは、北朝鮮の政治犯収容施設についてのことでありますが、本日キムさん(「金英順」(キム ヨンスン)さん)がいらしてくださっておりますので、キムさんを紹介しつつ話を進めて参りたいと思います。キムさんはつい最近韓国へ逃れていらっしゃったと聞いております。ちょうど私がリサーチをしていた時よりも、本当に最近韓国へみえたということで、私の報告書の中では紹介ができない方でした。

 またとても重要なことは、収容所の衛星写真を手に入れることでした。何故ならば、北朝鮮の収容所には「管理所」と呼ばれる、英語では「プリティカル・・・コロニー?」(聞き取れませんでした)といいますけれども、そのような収容所があります。しかし北朝鮮政府はこれらの収容所を否定しております。そこで、北朝鮮政治犯収容所が逃れた人たちの証言と、またそれに加えて衛星写真を両方とも調べること、そして両方とも報告することが重要だと思われました。

 北朝鮮の政治犯収容所に入れられていた人たちは、そこにある自分の家や作業場、また防衛部の兵隊たちの本部ですね、本部やまた、罰則を与える場所、処刑場などについて詳しく指し示すことができます。私たちは6ヶ月から8ヶ月かけて写真を手に入れまして、その写真を韓国に送りまして、韓国のNGOの方々や元政治犯収容所にいた方々に見ていただきました。

 北朝鮮にある政治犯収容所は、現在人権を考える際に、世界全体を見渡した上でも最悪の場所だと考えられます。北朝鮮には言論の自由はありませんし、結社の自由もありませんし、集会を持つ自由もありません。また報道の自由もありません。そして国の中を旅行する自由もありませんし、外へ出て行く自由もありません。

 実際に、世界人権宣言または現在の国際的な人権に関する法律などを見ますと「国籍を持つ権利」というのが書かれています。金日成と金正日の体制は、スターリンの全体主義の特に悪い部分、そして北朝鮮にありました封建主義を、両方とも統合したような制度を作っています。北朝鮮の収容所制度は、ソ連のスターリン主義化にありました奴隷労働を行わせる収容所をモデルにしています。またこれは私抜けたところですけれども、朝鮮独自の李氏朝鮮、そして朝鮮王朝の習慣をまた復活させているようです。

 北朝鮮の収容所のシステムについてですが、まず4つ、4つの異なる制度についてお話したいと思います。まず2つの最も正常なまたは最も異常と思われる2つの収容所についてお話したいと思います。これらの施設は「教化所」(きょうかしょ)または「集結所」(しゅうけつじょ)と呼ばれます。

 「教化所」は教化する、「教える」の「教」です。「教化所」は韓国でも監獄の意味として使われます。ここの「教化所」には重罪犯が入れられます。

 「集結所」または「道集結所」(どうしゅうけつじょ)と呼ばれるものがありますが、これは地方にある監獄でして、ここには小さな罪を犯した人たちが入れられます。

 このような「集結所」「道集結所」は各道にあります。これらの刑務所は「労働を通して教化する」という原理で基づいて運営されています。しかし基本的に、強制に労働による強制というものは見れずに、これは奴隷労働を行っている施設になっています。

 「教化所」と「集結所」には、通常の社会で罪と認められるような犯罪を犯した人だけではなく、政治犯と呼ばれる人たちも収容されます。社会秩序を乱したとみなされた者などが入れられます。また、韓国の歌を歌ったというだけで入れられる人もいます。これらはすべて北朝鮮では犯罪とみなされているからです。ですから「教化所」と「集結所」には通常犯罪者と言われる人たちと、政治犯と思われる人たちが両方混ざって入れられています。

 2つの施設に共通するものは奴隷労働ですけれども「教化所」ですと例えば、その多くが山に存在します。そこでは鉱山がありますので、男の人たちは石炭や金や鉄などを採掘し、また木を伐採します。そして女の人たちは服や靴を工場で作らされます。またその他の特徴としましては、これは北朝鮮全体の収容所に共通するものですけれども、死ぬ人が亡くなる人が非常に多いということです。これは食料をもらえず、またひどい悪条件の中で強制労働・重労働をさせられるからです。これは中国に行った北朝鮮人についてです。中国で逮捕されて、北朝鮮へ送還された人たちについてです。

 世界人権宣言を見てみますと、すべての人が生まれた国を出るという権利がありますけれども、北朝鮮の政府は許可をもらった人じゃないと外に出せない、という政権を設けています。1995年から始まった飢饉の際に、多くの北朝鮮人が中国へ逃れました。村に食料がなくて中国へ行ったんですけれども、その人たちの中には家族のために送金するため、また食料を送るために中国へ働きに行った人たちもいました。

 こうした中国に逃れた北朝鮮人の人たちは、すべて北朝鮮の法律を犯したというふうにみなされています。こういう人たちがもし中国で韓国人に会ったり、韓国の拉致を聞いたり、韓国のテレビを見たり、またミュージックビデオを見たりしましたら、政治犯とみなされます。

 その北朝鮮の人たちが逃れる場所は元「満州」と呼ばれる場所ですけれども、そこには200万ほどの朝鮮族の人たちが住んでいます。またその他にも、韓国のビジネスマンや学生も非常に多く滞在しておりまして、また韓国からの旅行者も多く訪れる場所です。

 またそこにはキリスト教や仏教関係の支援団体の人たちもいます。そういう人たちは北朝鮮から逃れてきた難民の人たちに、食料を与えたりするためにそこに滞在します。ですから実際北朝鮮の人たちは、中国で韓国人に会うことはとてもたやすいことです。けれども捕まりますと北朝鮮へ送還されまして、監獄や逗留所などに収容されてしまいます。

 脱北者が一度送還されますと、北朝鮮の警官は送還されてきた難民に次のような質問をします。「中国のどこにいたか」「どれだけの期間中国にいたか」また「中国で韓国人に会ったか」「韓国の拉致を聞いたか」また「教会に行ったり、教会関係者に会ったか」ということを聞きます。北朝鮮の人たちは、もしそういった北朝鮮の警察の質問に「はい、そうです」と答えてしまったら、処刑されるかまたは「集結所」や「教化所」に送られてしまうために、そういった質問は最初は否定します。ですけれどもそういった否定は、北朝鮮の警察によっては信じてもらえませんで、北朝鮮の警察は文字通り脱北者を拷問にかけて、叩いて殴って真実を吐かせようとします。ですから監獄や逗留所では、拷問や殴る蹴るといった暴行が絶えず行われておりまして、そういった暴行を受けて死ぬ人もいます。

 最後に「管理所」についてお話させていただきたいと思います。まずこの「管理所」というのは「教化所」とは違うものです。まずすべての「管理所」に収監されている人たちはみな政治犯です。この「管理所」に送られる人たちはいかなる法的手続きも受けないままそのまま送られてしまいます。告訴されることもなく裁判にかけられることもなく起訴されることもなく送られていきます。そして自分が何故「管理所」に送られるのか自分に罪も知らされないまま送られていきます。政治犯とみなされた人たちは単にそのまま捕まえられて「管理所」に入れられてしまいます。

 「管理所」は北朝鮮北部の山深い谷間にあります。ほとんどの人たちが生涯そこに閉じ込められまして、重労働をさせられます。例えば鉱山で働かされたり、伐採事業に従事させられたり、また国営の農場で働かされます。もともとこの「管理所」は12くらいありましたけれども、過去20年ほどで統合されまして、現在5ヵ所6ヵ所ほどになっています。

 現在韓国に亡命しています元収容所の幹部であった人、防衛部にいた人なんですけれども、この人は「北朝鮮の収容所には、全体で20万人ほどが囚われている」と言っています。

 この抑圧行為の特徴的なところですけれども、法的手続きもなく裁判もなく入れられまして、そして連座制で入れるというところです。政治犯とみなされた人が政治犯収容所に入れられて、生涯重労働をさせられるだけでなく、その家族も三代に渡って、三世代に渡って収容所に入れられます。家族用の別の収容所がある場所があります。

 この家族が孫の代まで一緒に収容所に入れられるという連座制ですが、これは金日成が李氏朝鮮の封建制を再び復活させたもののように思われます。こういったことが起こるのは北朝鮮のみだと思われます。スターリンのロシアでも、こういうことは見られませんでしたし、毛沢東の中国でもこのような制度はありませんでした。

 これは非常に異常な制度のように思われますけれども、私はこの制度について韓国の人に聞きました。そうしましたら韓国の人は「封建制では北朝鮮、韓国、そして中国でも昔そうでしたけれども、皇帝に刃向かうと刃向かった本人のみならず、一族みんな処罰される」ということでして、金日成はこのような制度を再び復活させたように思われます。

 先ほどお名前が挙がりましたけれども、カンチョルファン氏という方は、北朝鮮の第15号収容所耀徳(ヨドク)収容所に収容されました。カンチョルファン氏は10歳の時に収容されまして、20歳の時までそこに閉じ込められておりました。それはご本人のお祖父さんが政治犯とみなされたからです。カンチョルファン氏のお祖父さんお祖母さんは日本に住んでおられまして、日本でパチンコビジネスで成功された方でした。

 しかしカンチョルファン氏のお祖父さんお祖母さんは、北朝鮮に戻って社会主義国家を作るために北朝鮮に戻っていかれました。しかしその時、総連の中で紛争がありました。そしてカンチョルファン氏のお祖父さんは、その負けた側に属していたということです。カンチョルファン氏のお祖父さんは収容所に連れていかれまして、残りの家族は耀徳(ヨドク)の第15号収容所に収監されました。カンチョルファンさんたちは、北朝鮮に帰国して行った元在日の人たちの村に入れられました。そしてその人たちは日本で「富」や「繁栄」「民主化」などに毒されたとして、収容されたものと思われます。

 耀徳(ヨドク)は他の5ヵ所の収容所と少し違います。それは外に出られる、釈放される人たちが住む区域があるからです。釈放されない人たちが住む区域では人々は重労働に従事させられ、そのまま亡くなってしまいます。ここにおられるキムさん(「金英順」(キム ヨンスン)さん)も第15号耀徳(ヨドク)管理所に収監されておりました。

 キムさんのお話に交代させていただく前に、最後にもうひとつコメントをさせていただきたいと思います。それは北朝鮮のこの状況を変えることのできる可能性についてです。朝鮮半島をめぐりましては「核兵器の問題」もありますし、「ミサイル問題」もありますし、また非武装地帯における「軍事的対峙の問題」もありますし、「飢饉の問題」もあります。また、1991年にソ連が支援をカットして以来、北朝鮮の「経済は破たん」しまして、そういった問題もございますし「拉致問題」もあります。

 金正日が主体思想・チュチェ思想を維持して、院座の王国をこのまま維持したいと言うのならば、そして社会主義・共産主義国とのみ交流したいと言うならば、そうすることもできますけれども、事実北朝鮮はもう共産主義国が崩壊しますので、院座の王国でいることも難しくなっています。もし北朝鮮が国際社会に加わりたいのなら、そして国際的な経済に加わりたいのなら、これは21世紀の新しい社会経済ですけれども、また個人投資をしてもらいたいのなら、また国際的な支援をしてもらいたいのなら、そして世界市場へアクセスしたいのならば、またですね北朝鮮の核兵器を作る支援となるようなお金が欲しいのなら、外国の投資が欲しいのならば、北朝鮮は国際的な水準に則った動きをしなければなりません。

 1991年にソ連からの支援がなくなりまして北朝鮮の経済が破たんした後、北朝鮮は韓国や日本、アメリカから経済を立て直す支援をもらいたいと思っています。韓国も日本もアメリカも、しかしながら北朝鮮と国交正常化してはいません。しかしこれは私の希望ですけれどももし「ミサイル問題」や「核兵器」への解決が見つかるのならば、政治や外交の正常化についての解決も追求されると思いますけれども、その際多くのお金がアメリカや日本から北朝鮮へ送られることになるかもしれませんけれども、そうした際には話し合いの場で「人権問題」についても話していただかなければいけないと思います。例えば「拉致」や「政治犯収容所」などについての話を、こうした「ミサイル問題」「核兵器問題」などに加えて、今後5年から10年の間、ぜひ話していただかなければならないと思います。

 ですからこれも私の希望でありますけれども、今後5年から10年かけて、もしくはもう少しかかるかもしれませんけれども、日本や韓国やアメリカのNGOの方々や市民の方々が、今後ますます重要な役割を果たしてくださることと思いますけれども、このひどい「人権問題」「人権侵害」についてぜひ採り上げていっていただきたいと思います。

 皆さま、ご静聴ありがとうございました。


 

【金 英順(キム ヨンスン)さん

1970年代耀徳(ヨドク)強制収容所に収監された。収容所で父母、息子が死去。夫も処刑さる。平壌総合芸術大学1期卒業。舞踊家)

 私は、北朝鮮から脱北した「金 英順」(キム ヨンスン)と申します。
最近日本では大きい地震がございまして、被害の規模も大きかったと聞いております。それにもかかわらず、北朝鮮の人権のためにこのように多くの方に参加していただき誠にありがとうございます。

 私は1937年5月26日に生まれました。満で言いますと67歳になります。北朝鮮で「平壌総合芸術大学」を卒業しまして、当時は舞踊・ダンスを専攻いたしました。その学校では「朝鮮民族舞踊」というのをチェスミン先生から教えていただきまして、それからクラシックバレエに関しては、ソ連で勉強し留学なさった先生の方々から教えていただきました。

 その学校を卒業した後は「朝鮮人民軍協奏団」というところで13年間人民・・を勤めました。その協奏団を除隊した後ですね、外国にはないと思いますが、北朝鮮には「外国旅行者商店」というのがございまして、そこで商業部の指導員を務めました。で「外国旅行者商店」というのは政府の大使団、政府の大使ですとか代表団、それから政府高官が海外に行く際にですね、すべてその商店で買い物をするということになっています。そしてですね、その商店の中にある商品というのは、日本の商品を取り扱っていました。

 ある日、8月の頭くらいだったんですけれども、その商店が出張の命令が出されました。それはですね「西平壌駅」という駅がありますけれども、そこにある「しんぎしゅう?」、その地域が「しんぎしゅう?」なんですが「しんぎしゅう?」の「化粧品会社に行って、何か製造の仕事をしてくれ」という内容の指示だったんですが、その準備をしていたらですね、ある軍人が私に突然「身分証明書を示して」というふうに私に指示を出しました。それで身分証明書を出したところ、いきなり「保衛部の招待所」というところに連れて行かれました。

 そこでですね、私は保衛部で2ヶ月間も取り調べを受けました。非常に苦痛でした。その取調べを行った人からですね「何か白状しろ」というふうに言われました。しかし、私には何も白状することはございませんでした。罪もない、何も悪いことをしたことがないので、ずっと「言いたいことはない」というふうに否定しました。そうしたら保衛員はですね「何でもいいから書け」と言いました。私は「何を書けばいいんですか?」と聞き返しました。そしたら「一日の日課を書いてほしい」と、その前の商店の事務所でですね「一日中やったことを、朝から晩まで何をしたかを書くように」私に指示をしました。

 そこで2ヶ月間取調べを受けた後、保衛部の幹部5人が私のところに来まして「あなたは朝鮮労働党の党員として、あなたの発言が韓国に伝わった場合、責任をとるようなことはないか」と言いました。とにかく「党の命令に従うべきだ」というふうに言われました。

 私の罪目がその後わかりました。それは、金正日の元妻である成恵琳(ソンヘリン?)が「金正日の妻であることをしゃべってしまった」こと、そして金正日の本名がですね、「ユラ」だということを言ってしまった、そしてその「金正日がソ連で生まれたこと」などをしゃべってしまった、それが罪目でした。

 それで保衛部からですね「これからはどの幹部にも会うことができない」「とにかく言うことを聞け」ということを言われました。そしてその後、私の家族は7人だったんですが、私の両親、そして子ども4人がみな「耀徳(ヨドク)収容所」に連れて行かれました。その「耀徳(ヨドク)収容所」がどれだけひどかったかについてはですね、そのカンチョルファンさんですとかアン・・・さんとかがすでに申し上げたことがございますので、ここでは割愛したいと思います。

 それから、その収容所に連れて行かれてその後私の父親は、1年後に栄養失調で亡くなりました。そして母親の方は5年後に亡くなりました。そして私の息子1人はですね、学校の帰りに川に落ちて亡くなってしまいました。このように3人の家族を私は失ってしまいました。それで8年1ヶ月ぶりに私は「耀徳(ヨドク)収容所」から出ることができました。

 私の主人はですね「朝鮮百科事典出版社」というところに勤めていました。その出版社の所長、上司がですね、辛光洙(シンガンス)というスパイでした。(原敕晁さんを拉致したスパイ)彼と非常に仲が良かったんですが、その辛光洙(シンガンス)の密告によって、主人は1970年7月4日に保衛部に逮捕されました。

 このようにして家族を失くして、私の両親は韓国出身だったので北朝鮮に親戚はいませんでした。中国か日本にいらっしゃったんですけれども、結局残りの家族はですね、鉱山に配置されました。「チャウンジンチュモン鉱山?」という所だったんですが、そこは金正日の当資金を集める所で「39号室」と言われる所なんですが、そこでは金を掘り出すようなそういう鉱山でした。

 「耀徳(ヨドク)収容所」というのは1969年に作られたんですが、金日成が北朝鮮のすべての幹部に送ったメッセージがあるんですが、その録音したその内容に基づいて作られた収容所だそうです。それで、その労働党の幹部が初めて作った収容所というのが「15号収容所」でございます。初めてそこに入った人は「パクヨンギンさん」という人さんですが、彼は家族4人で69年末に入りました。当時は商店の責任者の仕事をしたようです。

 私のように保衛部の招待所に連れて行かれて、取り調べを受けた人は非常にまれです。当時はほとんどの人がそのまま何の罪目も、自分が何の罪を犯したのかもわからず連れて行かれました。例えばですね、金日成には“こぶ”があるんですが「金日成には“こぶ”がある」ということを口に出してしまった、あるいは金日成の銅像があるんですが、石膏で作られた銅像を壊した人も連れて行かれました。あと、北朝鮮では床を金日成の顔が描いてあるものを使って床に貼るんですが、その代わりに他の紙、白い紙ですとか他の紙をその上に貼ってしまった、あるいは「ソンヘディング?」の話をした、というさまざまな理由で連れて行かれました。他の民主主義国家ではありえない、罪としては思われないようなことで連れて行かれたわけです。

 その後、8年から10年もその収容所に入られて、そして言葉では表せないようなさまざまな苦労をさせられました。本当に「虫よりも下の待遇」といいましょうか、例えばねずみというのは本当にスペシャルな料理だったんですが、まさに人間が住むような世界じゃないというふうにしか言いようがありません。

 この「耀徳(ヨドク)収容所」には高位幹部、例えば将校ですとか、軍隊の将校を連れて来られましたし、有名な漫才師、あるいは博士も連れて来られました。「カンホンシスさん」という有名な演出家・映画俳優がいましたが、彼が連れて来られた理由は「日本の映画に出たことがあるからだ」ということでした。彼の奥さんは日本人でした。

 この「耀徳(ヨドク)収容所」で亡くなる人というのは、非常に数え切れないほど多かったんです。収容所に連れて行かれて「1年も過ぎないうちに死んでしまう」人が多くいました。大半は栄養失調でした。倒れて死にますと、家族が亡くなった人を葬ります。

 あの「15号収容所」というのは、非常に困難な状態で混沌としていまして、複雑な状況でした。といいますのは・・いろいろな人が当時は捕まっていました。例えば日本から来た在日帰国者世帯は13世帯ありまして、あと独身者が3人いました。在日韓国人、帰国者はですね、日本からいろいろな品物が送られて来るわけなんですが、保衛部の幹部、我々は「先生」と呼んでいましたが、その「先生」のいる住宅兼事務所でその品物をまず受け付けまして、本人には「これは該当しない」という言い訳をして、決してその本人に渡すことはありませんでした。

 その「15号収容所」というのは「外に出ることができない」そういうエリアだったんですが、私がその収容所にいた8年間、75年には約13世帯、そして78年には約10世帯がその収容所から出るケースもありました。そういうエリアが別にありまして、そこから13世帯10世帯くらいの人がそこから救出されたと、外に出たという話を聞きました。

 在日帰国者の「チェスインさん」という舞踊家はですね、家族がみな60年に平壌に一番最初に帰国した世代です。そして今はハム市?に住んでいるというふうに聞きました。その「チェスインさん」は結局収容所に10年間も住んだわけですが、彼女の主人は「キムジョンナンさん?」という方で「日本に父親がいる」というふうに2000年に聞きました。私は2001年に北朝鮮を脱出しましたので、2000年までは「日本に父親がいる」という話を聞きました。その旦那さんの「キムジョンナンさん?」という方は、日本から北朝鮮に到着した際に、船から真っ直ぐそのまま「15号収容所」に連れて行かれたそうです。

 私がそのように帰国したその在日の方の話をする理由はですね、北朝鮮に行ったその帰国者というのは、北朝鮮から見ますと「愛国者」だと思います。しかし北朝鮮という政府はその「愛国者」たちを、その人たちが資本主義の国に前に住んでいたので「北朝鮮に来ても物もない」そして「いろんなことが不便」そういうことで不平不満を口にします。それを北朝鮮は「政治的な罪だ」というふうに断定して、永遠にそこから抜け出すことができない「政治犯収容所」に連れて行ったわけです。ですから私はこの北朝鮮という国は何の義理もない、何も論理が通じない、そういう国だというふうに思うからです。

 そして在日韓国人はですね、北朝鮮の家族にお金を送る際は、今は“円”で送れるようになりました。それは「がいかん銀行?」という所「うえはん銀行?」を通して送るわけなんですが、昔はお金をですね、北朝鮮のお金に替えて両替をして送るようになっていました。「がいかん銀行?」の社長が平壌に行きまして「このように両替をすると、非常に銀行の運営が厳しくなる」と、それで2000年5月1日から“円”でそのまま送るようになりました。

 それでそうなりますと、そのお金を受け取るためにですね、北朝鮮の家族は朝一で長蛇の列に並んで待つわけなんです。お金を両替できる所は、各道にひとつずつ両替所がありますが、1万円あるいは5万円、5千円というそういった単位でお金を受け取ることができます。受け取る際には手数料として、20パーセントまたは30パーセントのお金を取られます。

 そしてですね、アメリカからお金を送る際はですね、さらに手数料というのが高くなります。100ドルを送りますと、北朝鮮で受け取る際は、100ウォンというのは韓国のお金ですと10ウォン約10円になりますが、非常に損害というのが大きく、損をするわけです。しかし北朝鮮にいる家族というのは、そのお金をもらわないと自分たちの生活が厳しくなる、しかしまた、それを受け取ろうとしたら、政府が手数料を取ってしまう。でももちろん受け取らないわけにはいきません。とにかくアメリカから送って来るお金は手数料が非常に大きいので、アメリカに住んでいる家族は、お金を送ることに関して非常に悩むことになります。

 私がこのような話をする理由は、北朝鮮当局というのは本当に良心もない、何の義理もない、そういう政府だということを批判したいからです。金正日というのは、金日成が築き上げた王廷、先ほどにも話がありましたが李氏朝鮮の王廷をまた復活させるために、その国の住民をみな貧乏にさせている、そういうことなんです。

 北朝鮮当局はですね「外国のものというのは一切持つことはできない」というふうに禁じました。それは金正日が党の戦略・?をしていた1973年からのことなんですが、外国の音楽そして映画、書籍をすべて禁じまして、例えば「世界文学全集」というのも全部没収しました。2000年にはですね、平壌、そしてハンフン?でテレビのチャンネルを3つに固定させました。北朝鮮のチャンネル以外は見られないようにしました。

 ですので、北朝鮮の住民というのは聞くこともできない、そして本当のことを言うこともできない、見ることもできない、すべての自由が奪われている、そういう状況です。そして地方の人は平壌に行くことさえ許されていません。北朝鮮の人は、韓国の霊山と呼ばれる有名な山がありますが、金剛山ですとかピョンハン山?ですとか、そういう山を実際に自分の目で見た人はいないと思います。ですから北朝鮮の人は今人権を踏み躙られているそういう状況だと言えます。

 北朝鮮政権というのは、今世界にある「民主主義国家とは、水と油のように決して交わることのできないような国」だと思います。この北朝鮮政権というのは崩壊しなければなりません。そしてそのために世界の民主主義諸国が乗り出すべきです。北朝鮮は表と裏が違う国です。ウソで作られた国と言えるでしょう。ですから完全に崩壊させなければなりません。

 私は北朝鮮の方向さえ見たくはありません。何故ならば私の家族が多く失われているからです。私は、今は一人で韓国に来まして自由に暮らしています。そのことに関しては非常に感謝しております。今、ちょっと時間がございませんので、簡単に述べさせていただきました。ありがとうございました。


 

【野口孝行さん】

(北朝鮮難民救援基金の国際担当・平成15年12月中国南寧で北朝鮮難民の支援活動中、逮捕されて実刑判決を受け本年8月帰国)

 皆さま、こんばんは。
「北朝鮮難民救援基金」の野口と申します。

 えー、ご紹介いただきましたように私は昨年12月、中国国内でですね、北朝鮮難民の人を救うために中国を北の方から南の方に抜ける際に、最後のベトナムの国境までもうあとわずかという最後の段階でですね、公安の方に拘束されてしまいまして、その後逮捕・起訴、そして8ヶ月の判決が下るという経緯を通りまして今年の8月に、最終的に日本に帰って来ることができました。

 今回私と一緒に拘束された人はですね、元在日の人です。1960年に北朝鮮に帰って行った人でした。私はすごく今、未だに頭をよぎって悩まされることなんですが、彼らはですね、私と会った瞬間にやはり日本を感じたと思うんですね。そして、まだまだ先に長い旅が残っているのにもかかわらず「あぁ、これで半分日本に帰れた」というような思いがあったと思いますし、事実彼らはですね「日本に帰ったらこれをしたい」「一生懸命働いて、何々をしたい」というような感じで、すでに半分日本に帰った気になっていました。

 ですがまぁ私たちがですね、本当にもう少しでベトナムに出れるというところで拘束されてしまい、結果として彼らは北朝鮮に送還されてしまうということになってしまいました。

 私は結局牢屋に8ヶ月間いたわけですがその時にですね、本当に日本のことをよく思いました。「帰りたい」「日本は今どうなっているのか」。そして、40年前に(北朝鮮に)帰ったその元在日の人たちもですね、この40年の間ずうっと生まれ故郷の日本を思って、この「望郷の思い」ですか、を持ちながら暮らしてきたと思います。

 それはですね、まぁ言うまでもなくですね、日本人の「拉致被害者」、今この瞬間もおんなじ思いで「望郷の念にかられて、一秒一秒を過ごしている」ことだと思います。その辺でですね、私は8ヶ月というすごく短い間でしたが、そういう日本に対する思いを感じることができました。また向こうに帰って行った北朝鮮の元在日の人たちも、私と同じ気持ちを持っていると思っています。

 私が牢屋にいる間にですね「はたして日本はどうなっているのか」また、私が帰った後にですね「どのような運動を私はすることができるのか」常々考えていました。そうしましてまぁ、私が帰って来ました時に浦島太郎みたいな状況、8ヶ月間でしたがそういう状況でした。

 そうしましたら、いろいろと多少なり状況が変わっていまして、今日のようにですね、私が日本にまだいた頃にはなかったことですが、まぁ様々なこういった「法律家の会」をはじめですね「守る会」「救う会」という人たちと一緒に、何かこういった会を持てるような状況になっていました。私は、これはすごくとってもビックリしてですね、まぁ、話を聞くところによると、最初は「どうしてそうしたら北朝鮮難民の人たちと一緒にやるんだ?」というようなことを言う方たちもいたそうです。

 まぁですが今日もそうですが、こうやってお互いの団体が取り組んでいる問題は違う問題ですが、やはり根底にあるものというのは「北朝鮮政府の人権を無視する」「人を人として扱わないその態勢」、すべてここに問題があって、そこから生じている問題で、私たちひとつひとつのNGOが、日々その問題を解消するために闘っていることだと思います。ですからですね、今日またここで共に席を持って意見の交換ができました。

 そしてこれからもですね、さらにその「北朝鮮の人権無視」というひとつのことで共闘ができると思いますので、されにこれから束になってですね、運動を盛り上げてそれぞれの取り組んでいる問題の解決に向けて働いていきたいと思っています。本日はどうもありがとうございました。


 

【荒木和博さん】

 皆さま、こんばんは。
時間を超過しておりますけれども、私、話の中身はございませんが、3分間でも3時間でもできると・・・(会場内笑いで聞き取れません)3分間で終わらせていただきます。

 あの、今お二人「金英順さん」と「ホークさん」のお話を聞きながらいろいろと考えたんですけども、やはり我々絶対に忘れてはいけないのは、この「北朝鮮の人権問題」「収容所の問題」と「拉致問題」が決して別々に起きているということではない、ということでございます。

 えー、「金英順さん」のお話の中にあったように、極めて上の地位にいた人でもこの収容所にぶち込まれると、そして本当に「人間以下の生活をされる」ということを考えた場合、ここにまぁ、ご家族の方の前でこういう言い方をするのもなんですけど、今身分が保障されているとしたって明日どうなるかわからない、それが北朝鮮という国であるということだと思います。であれば「粘り強い対話」とかですね、そういうような「のんびりしたことを言っている時間はない!!」というふうに我々本当に思います。

 一刻も早く解決するためには「どうやったら解決できるか」ということを考えなければいけない。そのためには今「金英順さん」お話にあったような、この北朝鮮の実態というのをちゃんと見てですね、こういう問題のこの「ホークさん」の本にしても目をつぶってしまえば何も分からないわけなんです。しかし現実はそこに存在するわけで、この現実をですね、我々は本当にしっかりと受け止めていかなければいけない、そして政府もこれはですね、しっかりと受け止めていってもらわなければいけない、ということを痛切に感じます。

 それからもう一点、あの「ホークさん」がこれだけの本を出していただいて、活躍をしていただいているということを本当に心から敬意を表し、そしてまた感謝申し上げたいというふうに思います。ただ自分として日本人として非常に残念に思うのは、この目の前の国である北朝鮮の問題について、我々がこの人権の問題について、北朝鮮の人権の問題を解決することができなくて、遠くアメリカの方の力を借りなければいけないということは、我々日本人として本来恥ずべきことだというふうに思います。

 もし我々が、この北朝鮮の問題を自分たちで解決してしまうことができれば「ホークさん」は、また誰もですね、見向きもしないところの人権の苦しんでいる人たちを助けることができるわけなんです。「ホークさん」は前にカンボジアに行っておられますけれども、カンボジアにおけるポルポト派の虐殺というのも、これはとんでもないことでございます。世界中にまだそういう場所というのが山ほどあるわけで、「ホークさん」がそういうところで誰も見向きもしていないところで活躍をしていくためには、この目の前にある北朝鮮という国の人権問題は我々の手で解決していくことが大切であります。そういうことをですね、改めて感じています。

 もちろん、今までやっていただいていることに対して本当に感謝をしますし、これからもぜひこの北朝鮮の人権問題に協力していただきたいと思うんですが、やはりその一方で、もうひとつそういう思いがあったということでございます。

 いずれにしてもこの問題の最適な解決は、先ほど増元さんもおっしゃいましたように「金正日の政権を打倒してしまう以外に何の方法もない」と。「それ以外の一切の方法はない」というふうに考えております。

 その方法に向かって、それぞれアプローチの仕方はここにいるNGOのそれぞれが違いますけれども、間接的にはそこへもっていって、あの今北朝鮮にいるすべての人たちが幸せな暮らしができるように、一刻も早くもっていく必要があるのではないだろうか、ということを感じました。どうもありがとうございました。(大拍手)

 

テキストはaoinomamaさんがテープ起こしして下さいました。

 

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