★横田滋さん講演「拉致問題の解決にむけて」★
大阪の皆様、こんにちは。祝日で行楽日和のところ、ご参集くださりありがとうございます。
めぐみは、新潟市の寄居中学でバトミントンを終え帰宅途中に行方不明になった。
海は近くにありますが、住宅街で行方不明になった。
まだ、バトミントンをしているのかと思い、体育館まで迎えに行った。
弟たちをつれて探しに出た。空き地、ホテル跡、神社、防風林など、しかし何も見つけられなかった。学校にも連絡し、警察にも失踪届けをだした。
すぐに捜索が始まった。
めぐみは友達と三人で帰宅していた。それぞれと別れ、一人になって、学校から500mのところ、左に曲がると3〜4軒目が自宅ですが、シェパードは、家の近くの交差点から進まない。
犬はガソリンの臭いに弱いそうで、車で連れ去られたのだろうという事だった。
誘拐、身代金目的、事故、あらゆる面から捜索。録音、逆探知、覆面パトカーなどが配備された。しかし、遺留品も見つけられなかった。
翌朝から機動隊も出動し、大掛かりな捜索が始まった。
一週間後に公開捜査に踏み切った。
TVの人探し番組も4社に出たが、何の情報も寄せられなかった。
後に北の工作員の仕業だと分かったが、ミステリー、神隠しだと言われた。
警察の方も「犯行は繰り返されるから、少女の誘拐未遂でも起きれば・・・」と言われた。
平成9年参議院共産党議員秘書の兵本さんから電話をいただいた。
「情報を知らせたい。めぐみさんは北朝鮮にいる。議員会館へ来るように。」
めぐみの居場所がわかったことで、数日のうちに帰ってくると思った。
議員会館へ向かう途中、ふと富士山丸の紅粉船長のことを思い出し、
帰国までかなりの期間を要するのか?と思った。
「現代コリア」の石高さんの記事を見せられた。
『1977〜78年頃、13歳の少女が日本海側のどこかの都市で拉致された。工作員が連れて行った。「朝鮮語を勉強すれば帰してやる」と言われ、一生懸命勉強したが、18歳頃に叶わないと知り精神に破綻を来たした。』
そういう事が書いてあったが、石高さんのこの記事は、新聞記事の範疇だった。
一箇所「双子の妹である」と書かれていた。めぐみは双子ではないが、双子の弟がいる。
このことは、新聞では報道されていないこと。
双子の弟か妹かというのは、工作員の記憶が薄れていたりして間違ったとも考えられた。
この3ヵ月後に、身代金を要求する電話があった。石高さんの記事を読んでかけてきたらしい。
犯人はすぐに捕まった。
産経新聞、現代コリア等の取材に、実名を上げるか悩んだ。実名を出さなければ、信憑性がない。「現代コリア」の記事で、蓮池さんや奥土さんらと並んで、拉致被害者の中で一番最初に名前を出された。北に「これだけの情報をつかんでいるんだぞ。」というメッセージだった。
国会で西村眞悟議員が橋本首相に質問した。
これで解決すると思った。
最初に新聞記事になったのは、1983年、サンケイが取り上げた。
昭和53年、日本海側の海岸で相次いでアベックが行方不明になった。
昭和55年、1月に「外国の諜報機関が関与している疑いがある。」と報道された。
昭和63年、参議院予算委員会で、アベック失踪、拉致未遂、李恩恵について説明された。
宇野首相が「拉致ならちゃんと措置を取る。」と発言した。
国会で取り上げられたんだから、政府が何とかしてくれるだろうと期待した。
騒ぐことで、北に居る子ども達が危険に晒されるかもしれないとも思った。
しかし、事実上放置されてきた。家族や国民が騒がなければ、政府は何もしてくれない。
槇田邦彦アジア局長は「たった10人くらいのことで騒いでいたんでは、国交が結べなくなる。」と言った。
ニセドルの取材のために、サンケイ、アエラの記者、高世さんという人が、脱北した元工作員に会いに韓国を訪問した。
たまたま、出発前に空港で買った新聞を工作員に見せたら、記事中の人を見たことがあると言った。
めぐみの記事だった。
「この人は日本語の先生をしている。数人いる先生の中で、一番若いのは自分が日本から連れてきたと先輩が言った。日本の新潟から連れて来たと言った。」
元工作員は、そう言ったと聞いた。
安明進氏に「工作員」という先入観も有ったが、会ってみると精悍な好青年だった。
北に家族を残していると言った。
信用できると思った。
新潟の人たちが「救う会」を作り、活動を始めてくれた。救出するための会ができた。
平成9年3月25日、家族連絡会が10家族で発足した。
「拉致された日本人を救出する会」が日本中にできた。いま35の救う会がある。
平成10年5月、日本人妻の帰国問題で中山正暉、森喜郎が訪朝した。
行方不明者はいない。拉致はしていないと北朝鮮は言った。
日朝国交正常化に向けて、双方の関係は良い方向に向かっていた。
平成10年8月、テポドンが飛んできた。不審船も見つかり、日朝関係は悪い方向に。
中山正暉は、拉致議連の会長だったが、実際は休眠状態だった。
北朝鮮の経済は悪化していた。
2002年8月30日、日朝首脳会談が決まった。
9・17、議員会館に集まっていた私達は、外務省から飯倉公館に移動するよう言われた。
首脳会談の結果を、不安ながらも大きな期待をもって待っていた。
一家族ずつ個室に呼ばれた。
「めぐみさんは亡くなっている。結婚されてお嬢さんが一人おられる。」
結婚相手は日本人か?子どもは何歳か?めぐみはいつ死んだのか?
「わからない。」と言う返事しかなかった。
平静を装って部屋に帰った。
次に有本さんが呼ばれた。
有本恵子さんは「自由意志で北朝鮮に入った。」と言えば、北の責任はない。
暗い顔で「やっぱりダメだった。」と、有本さんが言った。
蓮池さんが、「めぐみちゃんは?」と聞くと、「亡くなった。」と。
福田官房長官から「おたくは生きていたんだから、いいじゃないか。」と言われた。
翌日、外務省から詳しい話を聞いた。
「生存、死亡の確認は何からか?」
梅本さんが「確認はしていない。北がそう言った。」
10・17。5名帰国。
2週間で北に帰す約束があったのか、なかったのか。
小泉首相の2度めの訪朝。
反対だったが行かれたので、8名の他に誰か帰ってくるかと期待した。
再調査の結果は? 10名だけなのか? 特定失踪者は?
首相は「経済制裁はしない。」と言った。
経済支援はしないと言っておきながら、人道支援に名を変えて実施した。
首相と家族との面談のとき、労いの言葉を言った上で、総理に子供の使いか?と言った。
TVでは、労いの部分がカットされた。苦情がたくさんきた。
家族が「拉致、拉致」と騒ぐと、ミサイルが飛んでくるとか、首相に対する苦言に、批判が多かった。
第三回実務者協議。
警察庁、支援室の小熊氏など19人体制で訪朝、平壌で開催された。
町村外相は、タイムリミットを設けて、再調査の結果を引き出す。
誠意が無ければ制裁に踏み切ると言われている。
生徒証、メモ、写真など、めぐみが北にいた証拠が出された。
経済制裁をすれば窓口がなくなるが、北が譲歩して、交渉再開を言ってくるのではないか?
国交正常化交渉には、国民の多くが反対している。
政府は世論を見て、政治をしてほしい。特定失踪者は400名に上っている。
解決のためには、国民世論の後押しが絶対に必要です。ひきつづき関心を持ってください。
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★横田早起江さん「拉致被害者家族の思い」★
大阪のみなさん、こんにちは。
本日は、ピース大阪、リバティ大阪、ヒューライツ大阪三施設共同事業にお招きいただきありがとうございます。
めぐみが拉致されて27年が過ぎた。
その間、450万名を越える署名、支援金をいただいて米国にも行けた。
こんな平和な日本の国内で、20代の若者がある日突然襲われ、猿ぐつわ、目隠しで手足をぐるぐる巻きにされ、袋に入れられ、船に乗せられて北に連れて行かれた。目隠しの隙間から、遠くなる港の明かりを見ていたと、帰国者が言われている。
めぐみは、国内の事件だと思って探し回った。
防風林の盛り上がりでも、まさか、埋められているかもしれないと思い、砂をよけて見たりした。
焼却炉から焼死体が出たと、恐ろしい連絡があったりした。
身体が震えて、めぐみでないようにと言いながら向かった。
漁船の網に頭蓋骨がかかったと連絡があった。歯型を取り寄せ、中央署に届けた。
歯の治療跡、僅かに残っている毛髪から血液型が違うとわかった。
腐乱死体が見つかったから、来てくれなど、恐ろしい連絡がいくつもあった。
7年前、北の工作員が日本人を拉致したと証言した。
めぐみの場合は理由がわからない。
騒ぐからと船底に放り込まれたまま40時間も船に乗せられた。
向こうに着いたときは、つめが剥がれて血だらけになっていたと聞いた。
親は、小さな怪我でも消毒して、包帯を巻いて、大切に育ててきているのに。
何もわからないまま、朝鮮語を教え込まれて、思想を叩き込まれている。
安明進氏に出会ったことで、居場所がわかった。
善良な人々の魂を、ズタズタに引き裂く北朝鮮。
日本には、400名以上の特定失踪者の方々がいる。
80、90歳代のご両親が、一目会いたいと帰りを待ち望んでいる。
日朝首脳会談で金正日が拉致を認めた。
全国を回って署名を募った。助け出してくださいと署名を募った。
「こんな大事件が国内で起きているというのに、日本政府は何をしているのだ!」と、
増元さんのお父様は言われていた。
10月15日、帰国者の部屋を回って、増元照明さんがルミ子さんのことを聞いたが、誰も知らないと言った。
ルミ子さんのことを、お父さんに聞かせたかった。
その二日後に、増元さんのお父さんは亡くなられた。
「俺は日本を信じる。お前も信じろ!」と言って亡くなった。
地村さんのお母さんも、帰国の半年前に亡くなられた。
保志さんが行方不明直後に倒れ、寝たきりになられた。保さんが看病しながら活動されていた。
親は、どんどん年老いている。
子供達の帰国を待ちながら活動していても、体力は年相応に衰えている。
それでも、子供達の生活を思えば、衣食住が足り、何でも話せる自由がある。
子供達は、「帰りたい」と言えば、恐ろしい収容所に入れられる。
曽我さんとめぐみ、二人で小さな声で日本の歌を歌っていたと聞いた。
蓮池さんは月を見ながら、誰かが助けに来てくれると思っていた。
3年待ったが、助けられなかった。北で生きていく覚悟をした、と言われた。
知っている人はいたはずだ。
どうして声を上げてくれなかったのか。
アメリカでは、一人の人間として、この話を聞いてもらえた。
ブラウン・バック氏、アーミテージ氏。自分に何をしてほしいのか言ってくれと言われた。
「アメリカの人々に知らせて欲しい。」と言うと、翌日には新聞記者が部屋を訪ねて来てくれた。
国連のデメロさんにも、一生懸命話を聞いてもらえた。
この方は、9・11のテロの犠牲になられた。ニュースを聞き、私も泣いた。
日本政府、外務省は、どうしてあんなに違うのだろう。
金正男の不法入国があったとき、取引の材料になると思った。
しかし、あっと言う間に帰してしまった。
VIP扱いで送還してしまった。
取引してくれると期待していた。
コメ支援のときも、飢えに苦しむ子どもには回っていかない。
300万単位の餓死者が出ているというのに。
そのような国に、子供達は囚われたままでいる。
北朝鮮という国は、約束は反故にするし、平気で嘘をつく。
調査報告の第二回目に、めぐみが首吊り自殺をしたと医師の証明があった。
「入院台帳」という文字を消して、上に「死亡」と書いてあった。
1993年3月13日死亡となっていたが、1994年まで生きていたと蓮池さんが証言した。
今度は、93を94に書き換えて出してきた。
次々と嘘の上塗りをしている。
今回、めぐみの「遺骨」だというものが渡された。
呆然としてしまい、受け取ることができなかった。
夫のキム・チョルジュンだという人が、ヘギョンちゃんと一緒に来たそうだ。
94年に、病院の裏に埋葬されていたものを、96年に掘り起こして火葬したと言われた。
藪中さんが「遺骨があるのなら出してくれ。」と言われ、「直接渡せるなら(だしてもいい)」
藪中さんが「出しなさい!」というような遣り取りがあって、持って来た。
3枚の写真も持ち帰ってこられた。
27年前の11月15日、探し続けためぐみ。あのときのままの写真が出てきた。
訴えるような目、寂しげな目で、どうしたらいいの?というような表情で。
写真に手を置いて「めぐみちゃん、こんなところに居たの?」と言って思わず泣いてしまった。
弟達も声をあげて泣いた。
なんという残酷なことをする国。
年老いた親の元に、こんな悲しい写真をポーンと放り出して来た。
「もっと悲しみなさい。」というように。
だけど「こんなに立派にそだっていましたよ」と成人してからの写真。
もう、絶対に返せないというメッセージの骨壷・・・。
北の嘘に惑わされることなく、世界が心を一つにして、戦争はいけないが、
「間違っている」と言えるように。もう一度親と再会できるように。
もう一度、抱きしめてあげたい。
ルミ子さんのお母さんも、歩けなくなって来た。
地村さんのお母さんや、増元さんのお父さんのように、亡くなる前にもう一度会いたい。
どんなにボロボロになっていても、受け止める。
日本は何て生ぬるいんだろうと、世界から思われている。
子どもや孫達に、残さねばならない大切なものに心を砕いている。
お金や名誉ではない、もっと大切な物があるような気がしてならない。
どうか、今後も関心を持ち続けていてください。
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★あとがき

大阪府、大阪市、財団法人の紹介(配布されたチラシより)
◆ピースおおさか(大阪国際平和センター)
アジア・太平洋戦争において、大阪はもとより日本が廃墟と化すとともに、
我が国はアジア・太平洋地域の人々に対し、大きな災禍をもたらしました。
ピースおおさかは、これら全ての戦争被害者の追悼の場であるとともに、
大阪が世界の平和と繁栄に積極的に貢献することを目的としています。
◆リバティおおさか(大阪人権博物館)
部落問題、女性問題、民族問題、障害者問題、環境問題など人権
に関する歴史資料を収集保存・公開し、人権思想の普及と人間性豊か
な文化の発展に貢献することを目的としています。
◆ヒューライツ大阪(アジア・太平洋人権情報センター)
ヒューライツ大阪は、国際的な人権情報の収集・発信・調査・研究、研修・
啓発・広報・出版・相談・情報サービス機能などを通じて、アジア、太平洋
地域の人権の確立、伸長に貢献するとともに国際化時代にふさわしい
人権発覚を醸成することを目的としています。
この3施設が人権問題として拉致問題を直接取り上げたことの意義は非常に大きいと思う。施設の性格上、実質的には自治体、人権資料館が主催しての拉致事件に関する行事は大阪府では初めてだと思う。
事前に参加者全ての住所、氏名、年齢、電話番号を書き、往復はがきで申し込みをした。
横田さんご夫妻が講演を終え、舞台から退席された。
司会者の女性が
「もう一度、大きな拍手をお願いします。
拉致被害者の一日でも早い帰国を、みなさまとともにお祈りします。
さて、この拉致問題をきっかけに、在日朝鮮人に対する暴力や、嫌がらせが多く・・・。」
ここまで聞いて、席を立った。
やっぱり、そうなんだ。
「いつ、どこで、だれが、だれから、どのような、嫌がらせを受けたのか。その物証はあるのか。」
この言葉を投げつけたいが勇気がない。
横田さんのお話の後で、よくもまあ、こんなことが言えるもんだ。
人権侵害の最たるものが、日本人拉致ではないのか?
イスを蹴るようにして、会場から外に出た。卓袱台もひっくり返せばよかったかな、と思いながら。
後日テレビで横田さんが「最近は人権団体からも講演に招かれるようになってきた。拉致が人権問題だと認知されてきたんだと思う。」とコメントされているのを聞き、余計にこの大阪のイベントに憤りを覚えた。
すべては「拉致問題をきっかけに、在日朝鮮人への嫌がらせが増えている。」を言うためのイベントだったように思えてならない。
せめて、入り口で「経済制裁実施」の署名でも募っていただきたかった。
次回のシンポジウムの予定も記載しておきます。
できることなら「拉致問題」という文字を消してほしいと思います。
【第二回拉致問題と東アジアの平和と人権を考える】
日時:2004年12月11日(土)午後2時〜五時
会場:エルおおさか
コーディネーター 古野喜政さん (日本ユニセフ協会大阪支部 副会長)
シンポジスト 岡本 厚さん (雑誌「世界」編集長)
丹羽 雅雄さん (弁護士)
中井 伊都子さん (甲南大学教授・国際人権法)
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小指さん作成
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