麗澤大学 特別講演会
『息子も娘も立派に成長した だから八重子よ、絶対に生きていてくれ』


日時:平成16年10月2日 
場所:廣池千九郎記念講堂

 

会場の席はほぼいっぱいになりました。100人くらいは参加されていたと思います。

 繁雄さんは、八重子さんが北朝鮮に拉致されてからの苦悩の日々を、その後耕一郎さんと壇上で、司会者からの質問を受けながらお話されました。参加者からの質疑応答を含め約2時間の講演でしたが、あっという間に時間が経ってしまいました。

 

◆事前に配られた資料より◆

・横田めぐみさんが拉致された翌年の1978年、飯塚繁雄さんの妹・田口八重子さんは、高田馬場のベビーホテルに子供2人を預けたまま突然行方不明になる。

・繁雄さんは耕一郎さん(当時1歳)を引き取り、養子縁組し、自らの子供として育て る。なお、耕一郎さんの姉(当時2歳半)は繁雄さんの妹さんが引き取る。

・金賢姫の証言で、妹が大韓航空機爆破事件・実行犯の教官(李恩恵)だったという衝 撃。

・耕一郎さん(28歳)は21歳の時、パスポート取得のため戸籍謄本を見て、自分が養子であることを知る。

・初めて真実を明かされた耕一郎さんは「何よりも一番驚いたのは、そのことを、この年になるまで全然気づかせなかったこと」と語る。飯塚さんにはすでに子供が3人いた。 「お父さんの妹の子供だから、仲良くしてやってね。大きくなるまで絶対内緒だよ」と 子供たちと約束する。

・4人の子供を抱え、生活に余裕があった訳ではなかったが、家族の見事な愛は、大韓航空機爆破事件で飯塚さんがマスコミに追い回された時も、耕一郎さんを守り抜き、立派 に育て上げた。

・金正日の直接指示のもとに大韓航空機爆破事件が起きたことを認めたくないため、北朝鮮は「李恩恵なる日本女性はいない」「田口八重子は別人物で、すでに死亡」と発表。

●拉致問題の幕引きを許さず、必ず家族を奪還しよう!

 講演会参加者による質疑応答がありましたが、たくさん質問をしたり、歴史問題などを持ち出して持論を長々と話されて、いったい何の質問をしたかったのか理解できない質問をする方々がいました。飯塚さん親子は「拉致被害者ご家族」だということを忘れているような質問に、聞いている私たちも嫌な気分になりました。繁雄さんは「答えになっているかわかりませんが・・・」、耕一郎さんは「すみません、半分以上理解できませんでした」と、苦心しながらお答えになっていました。

 講演会終了後に、拉致が濃厚な1000番台リストの特定失踪者「生島孝子さん」のいとこのKさんにお会いしました。今日の講演会の情報は、以前に偶然出かけられた何かの催しで(お聞きしたのですが忘れてしまいました)教えていただいたそうです。ブルーリボンを着けていたので、声をかけられたとか。私たちも、あおいのママが9月29日の「戦略情報研究所第2回講演会」に参加したおりに、いただいたチラシの中にこの講演会の告知があり知りました。あまり宣伝されていなかったように思いました。それでも100人くらいの方が集まっていたので驚きました。

 Kさんは「この講演会が柏市だったので、もしかしたら(あおいのパパとママに)会えるかもしれない」と思っていてくれたそうです。そう言ってもらえて本当にうれしかったです。ありがとうございます。

 電車に乗るまでのしばらくの時間、お話をしました。勉強家のKさんはいつもいろいろな資料を持ち歩いていまして、それらを見せていただきました。手書きのものもあり、一生懸命に説明をしてくれました。それから、「生島孝子さん」が失踪した当時の警察の担当の方の名刺(昭和47年?と書いてありました)や、先日の9月17日の緊急国民集会後にご紹介した、某テレビ局の方の名刺もありました。

 何回かお会いした時に聞いておりますが、生島さんのお母さんとKさんのお母さんがご姉妹で、Kさんも年齢の近かった生島さんご姉妹を、本当の兄妹のように思っているようです。孝子さんが失踪した当時に妹さんと住んでいた渋谷区のアパートは、Kさんのご実家が経営されていたということで、今も当時のまま残しているということです。

*1000番台6次リスト 「生島孝子さん」 (電脳補完録さんより)
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=2864
*9/14 渋谷駅前街頭アピール (Kさんのことを書いています)
http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi?mode=dsp&num=&no=60

 「生島孝子さん」はもちろんのこと、「高野清文さん」「山本美保さん」「藤田進さん」など、多くの特定失踪者の皆さんや、拉致された人々すべてが帰ってきてほしいとおっしゃっていました。本当にそうですね。多くの方がそう願っていて、きっときっとその思いが天に通じると私たちは信じております。これからも私たちは皆さんを応援し続けます。参加された皆さん、本当にお疲れさまでした。

 

◆飯塚 繁雄さん◆

・皆さん、わざわざお越しくださいましてありがとうございます。おかげさまで「家族会」「救う会」による経済制裁を求める署名に、350万人の方がしてくださいました。ありがとうございます。

・新聞等による調査でも「経済支援をしない」と日本政府に求める方が8割近くだったとありました。これは「日本国民は怒っている」証拠だと思っております。

・妹の「田口八重子」は事情がありまして、母子家庭でした。1978年6月12日、八重子が22歳の時に、その頃託児所からベビーホテルに子どもたちを預けていたのですが、勤め先から「出勤していない」と連絡がありまして、アパートに行ってみると、部屋の中もきれいにしていて新しい服やコートもかけてあり、自分の意志で出て行った形跡がなく、訳が分からない状態でした。

・しばらく子どもたちの面倒をみて、様子をみることにしました。当時妻はパートに出ていて我が家も貧しかったが、仕事を辞めて「面倒をみます」と言ってくれて、いろいろと覚悟の上で子どもたちを引き取りました。

・兄弟でいろいろと話し合って、しばらく様子をみながら過ごしていました。そして警察に「家出人捜索願」を届けました。警察では「受理しました」とそれだけで、捜してくれそうな気配はありませんでした。「家出人は何万人もいるから捜せない」と言われました。

・それでも情報を待ちました。そうやって10年が経ってしまいました。でも、夢中で生活してきて、忙しい毎日だったので、あっという間の10年でした。

・1987年、大韓航空機爆破事件が起こりました。その犯人の一人、金賢姫が生き残り、彼女の証言から妹が北朝鮮に行ったとわかりました。最初はわからなかったのですが、警察がその女性(教育係)を絞り込んで、家族に対する調書をとりました。妹の特徴、失踪の経過、その他家族の調査で「間違いない」とわかりました。

・1991年、警察が韓国に行き金賢姫に聞きこみをしました。彼女に10数枚の写真を見てもらい、妹の写真を見て「この人です」と指をさしたということです。その写真は22歳の時のものです。妹が工作の一端をしていたと、間違いないと認めざるを得なかった。

・それからは、子どもたちを守る闘いが始まりました。耕一郎は13〜14歳の頃で、物心がつき始める頃です。絶対に悟られないように、新聞やテレビに気を使い、妻と一緒に守り通しました。マスコミ、特に週刊誌は興味本位でした。妹が犯人の一味であるかのような報道をしましたし、取材攻勢を受けないように、子どもを守るための闘いをしました。そうして気を使ってきましたが、それでもやはり親戚などから写真等が洩れたりもしました。しかし、ニュース性がなくなるとそういった取材も薄れてきました。

・その頃、国会では梶山静六国家公安委員長が「助けるべきだ」とおっしゃった。しかし、あれから無駄に時は流れていきました。あの時に北朝鮮に対して、きちっとした対応をしていれば、他の被害者家族に対しても現在の状況は違っていたはずです。それが残念でなりません。こういった事は、政府がやってくれなければダメだと思います。私たちはずっと耐えてきました。それは他の被害者家族も同じです。

・1997年3月に「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)ができ、政府・国民の皆さまに訴えるようになりました。しかし私たち家族は子どもを守るために、すぐには参加ができませんでした。しかし、2年前に私たちも訴えるようになりました。

・耕一郎が20歳になったら真実を話そうと思いました。引き取った時に、自分たちの子ども3人に「妹の子だけど・・・」と言い含めました。「うん、わかった」と、それから20年以上も約束を守ってくれました。

・耕一郎は21歳の時にパスポート取得で真実を知りました。本人も驚いたことでしょう。1週間後にやっと私に聞いてきました。真実を知るにあたって、「自分がこの両親の本当の子ではなかった」「本当の母がいない。北朝鮮に拉致されている」というこの2つのことがショックだったようです。「自分がずっと知らなかった」ことに。

・私たちの家族には「やるだけのことはやった」という自負があります。妹八重子に「お前の長男だよ」と渡せる自信があります。

・「拉致問題」は必ず解決しなければいけないことです。いつ何時、どなたが「拉致」されてもわからない状況が未だに続いております。私たちの血税で北朝鮮に支援をし続けているのです。そして「拉致」は続いていく。こんな日本であってはならないのです。「国家主権」を確たるものにしなければなりません。

・私たちは、今までこのような状態が続いてしまったという、今までの挽回の意味でも活動を続けていきます。世界的に見ても、北朝鮮は国家ではないとアピールして何でもやっていくつもりです。

・私たちは国連のあるジュネーブに出向きました。そこで陳述書を出し、じかに訴えました。「今どきそんなことがあるのか?考えられない」とおっしゃってくださって、とても感動しました。イラクで亡くなったデメロさんも「誠にけしからん!」と目を真っ赤にして励ましてくださいました。

・アメリカのワシントンにある国防総省にも行き、高官にも会いました。そこでも私たちの思いが即、受け入れられました。そういったことに驚きましたが、関心があるということがわかりました。ボルトン国務長官も「アメリカだったら、即戦争だ。戦艦を出してすぐにも奪い取るだろう。日本はなぜ、そうしないのか?」と、そうおっしゃいました。

・日本とアメリカは友好国でもありますので、よくお願いをしてきました。「テロ支援国家のリスト」にも「日本人拉致」の項目を入れてもらいました。北朝鮮はアメリカの選挙をにらんでいるようです。ケリー氏が大統領になったら「テロ支援国家のリスト」から北朝鮮をはずしてもらえると考えているようです。

・小泉首相の第一回の訪朝の時、5人生存8人死亡という結果を発表しました。私はその頃家族会に入っていなかったので、外務省から会社へ連絡がありました。「田口八重子さんは亡くなっています。ご愁傷様です。」と言ってきました。翌日私は外務省に出向きました。そこで聞いた事は、北朝鮮から得た情報を流しただけでした。

・「死亡確認書」もデタラメでした。妹八重子は「2〜3日だったら遊びに行ってもいい」と「北朝鮮に行きたい」と言ったというのです。北朝鮮に行った経緯も、宮崎から船に乗ってナンポという港に着いたら、袋をかぶせられてどこかへ連れていかれて、その後、どうなったのか情報がありません。私たちはそれを聞いて、八重子は生きているという自信が出てきました。生きているからこそ、報告ができないんだと。安明進氏も八重子は生きていると言ってくれています。

・北朝鮮は「田口八重子」は「死んだ」と「死亡者問題」と言っています。小泉首相が「生きたまま全員返せ」と言わなかったのが残念です。日朝交渉は二回ありましたが、期待を裏切るゼロ回答でした。

・国民が結果を待っていたのに、北朝鮮の思惑通りになっていると思います。日本の対応が弱いのではないでしょうか?北朝鮮はアメリカ大統領選挙の結果を待って回答したいようです。取引に利用しようとしているのではないでしょうか。

・斎木審議官の経過報告でも、何の書類もなくて、あーでしたこーでしたと聞かされたそうです。「こんなことじゃだめだ。的確な証拠を出せ。」と言ったとのですが、北朝鮮は誠実な調査報告をしようともしません。拉致被害者は個人管理されているはずです。「これから調べます」というのはおかしい。「軍部・特殊機関情報は時間がかかる」なんておかしい。金正日にこのような交渉の仕方ではいつまでたっても同じです。このままでは幕引きにされてしまいます。

・北朝鮮は犯人で、日本は被害者なんですから、拉致された人たちを取り返す算段をするのが当たり前なのに、交渉ということ自体がおかしいと思います。強い態度で要求しなければならないのではないでしょうか。

・小泉首相は日本のカードである支援や拉致問題を取引に使っている。経済制裁も「発動しない」と言いました。外為法・特定船舶入港禁止法を国民の皆さまの意思で作ったのに、まったく使われません。要求の中で、「経済制裁するぞ」とほのめかしながら、強い態度で接していただきたいと思っています。

・国民の皆さまの怒りの声が北朝鮮に即、届きます。小泉総理も世論をつかんで、今までと違う、動かなくてはと思うようにしたい。未帰還者の消息をはっきりさせ、何百人もいる特定失踪者問題を解決しなければ、拉致問題は終わりません。小泉総理は任期中に「国交正常化をしたい」と言っています。日本に得をすることはないのに、なぜ急ぐのでしょうか?拉致問題を幕引きにしてまでなぜ・・・。

・これでは、歴史に残る総理にはなりません。「だらしがない総理だった」だと言われるだけです。小泉総理には「この拉致問題をきちっと解決した名総理であった」と名を残してほしいと思っています。

・この拉致問題はますます根が深くなってしまい、個人では何ともなりません。たよりになるのは政府だけなんです。私たち被害者家族と同じ気持ちになって、北朝鮮に対応してほしいと願っています。

・あんなに一生懸命にやっていた中山参与が辞任しました。前の日に「がんばっていきましょうね」とおっしゃっていました。私たちはこれは、上からの圧力があったのではと考えています。山崎さんや川口さんは小泉総理の思うがままの人事です。ご自分のやりやすいような状況にしています。中山さんの代わりの方が特別委員会を外務省の中に薦めてもらえるのかとても心配です。

・私たち被害者家族にとって、心のよりどころが中山参与です。今回のことで、びっくりしましたし、がっかりもしました。政府に対して疑心暗鬼になってしましました。

・この拉致問題は、決して中途半端に終わらせることはできません。皆さま、どうかこの問題に注目して、理解を深めて、意識を高めて、真の強い日本国にするべく、みんなで手を合わせながら、昔のような強い強い日本にしていきましょう。

・私は今、66歳です。仕事をしていますが、この頃は疲れも感じています。妹八重子に会えるのはいつまで経てばいいのでしょうか?いつまで待ったらいいのでしょうか?北朝鮮よ、早く返してくれ!!向こうで八重子は生きているのだから。

・家でも妻に「お父さん、早く八重ちゃんが帰ってくるといいね」って言われます。私はいつも返事に困ってしまいます。妹八重子の人生の大切な時間、22歳〜48歳の時間を北朝鮮に剥奪されました。本当にどうしてくれるんだ!!帰ってきてからその時間をどう挽回するんだ!!八重子、帰って来てほしい。

・応援してくださる皆さまのこころを支えにして、これからもがんばっていきたいと思っています。どうか皆さま、ご支援をよろしくお願い致します。ありがとうございました。

 

◆飯塚 耕一郎さん◆

*質疑応答にて、耕一郎さんが「金賢姫に出した手紙」についての質問がありました。

・「金賢姫に出した手紙」はたぶん本人には渡っていないと思います。父が以前にやはり手紙を書いて出しているのですが、なしのつぶてです。

・父に「手紙を出さないか」と言われて、インターネットのメールで手紙を送って見てもらいました。それを父が某議員さんに見せたら、とても感動したらしくて、「公の場で訴えましょう」ということになりました。

・その手紙を外務省の斎木審議官に委託しました。「韓国政府に届けます」と受け取ってくださいました。しかし「韓国は太陽政策があるので、金賢姫は目の上のたんこぶの状態ですから、なかなか読んでもらうのは難しいかもしれません」とおっしゃいました。

・ですから、受け取ったのかどうかはわかりません。斎木さんによると「韓国側は、本人が受け取らないと言っている」とそう言っていました。

aoinomamaさんの参加レポート
http://aoinomama.trycomp.net/col3.cgi

 

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