横田ご夫妻激励講演会

日時:平成16年6月2日 午後6時半
会場:平塚市民センター(平塚駅西口徒歩5分)
参加:横田滋さん、早紀江さん
   松沢成文神奈川県知事
主催:平塚市、大磯町、二宮町、厚木市、伊勢原市、海老名市、座間市、愛川町、清川村地区のライオンズクラブ

 

◆横田滋さん

 皆さん、今晩は。私は、昭和52年の11月15日、新潟市で部活動を終えて自宅に帰る途中、自宅のすぐ近くで行方不明になりました横田めぐみの父、横田滋と申します。

 めぐみは通常遅くなる事がありませんので、その日のうちに警察に届けて捜索を始めました。そして、その日は暗くてよく分らなかったので、翌日、本庁から機動隊も出て大規模な捜索を行ったのですが、めぐみの姿はおろか遺留品、それから目撃情報も何も得られませんでした。そして、謎のまま約20年が経過致しました。

 そして平成9年の1月21日、参議院議員の橋本敦さんの秘書の兵本さんから連絡がありまして、「お嬢さんは北朝鮮の工作員に拉致されてピョンヤンにいるらしいという情報が入りました」という連絡を頂きました。20年経ってやっと本当の情報が入りました。そして議員会館で話を伺いましたんですが、北朝鮮から韓国に亡命した工作員を調べた韓国の安全企画部の人からの話では、1977年か78年に〜実際は77年ですが〜13歳の少女が部活動のバドミントンの練習を終えて帰宅途中に、工作員が脱出しようとしたところを見られたので、警察に通報されると困るので連れて帰った。で、お母さんの所へ帰りたがった訳ですが、朝鮮語を習得すれば帰すと言われて一生懸命に勉強して上手になった訳ですが、18歳になってそれが叶わぬ事と分って、精神に破綻を起こして入院をした。そこで工作員に身の上話をしたんじゃないかと思われます。そして、少女は双子の妹であると書いてあります(投稿者註:『現代コリア』1996年10月号の石高健次論文からの引用と思われます)。

 それを見た途端に、これはめぐみに間違いないな、と思いました。しかし20年も前の話で、有名人でもないめぐみの事を、13歳とか、それからバドミントンとか、非常に詳しく書いてあるにも拘らず、親にしか分らないような事は何も書いてありません。事件が起きてから3箇月くらい経って身代金を要求する電話が掛かりまして、早紀江がそれを引き延ばして現行犯逮捕したんですが、しかしそれは新聞を見て掛けた悪戯でした。それで(投稿者:途中聴き取れず)でっち上げではないかという事も考えられました。第一、めぐみは双子ではありません。しかし、めぐみには双子の弟がいます。しかしここは違っていても、逆に双子という事がキーポイントになるのかなと思いましたのは、新潟の皆さんは、めぐみに双子の弟がいるという事はご存知ですが、新聞ではそういう事は一切触れておりませんでした。石高さんの本を見ますと(投稿者註:光文社刊『これでもシラを切るのか北朝鮮』を指すと思われます)、韓国の安全企画部の人から話を聴く時は調書を見て話をしてくれるんじゃなくて、歩きながらとか食事をしながら話をする。それで、下に双子がいるというのが頭の中に残っていて、それで本人が双子の下であると言ったんじゃないかと言われましたんですが、違っているという事に寧ろ真実味を感じました。

 そしてそれを切っ掛けにマスコミの取材が始まりまして、我々が悩みましたのは実名を出して報道して頂くかどうかという事でした。実名を出さなければ信憑性が低いし、実名を出すと無かった事にされて殺されてしまうんではないかという事で非常に迷った訳なんですが、『現代コリア』という雑誌のホームページでめぐみの事が日本人の拉致リストのトップに出ていまして、こんな形で世間に知られるのは危険だと思いましたので、「日本国政府はこれだけの情報を持っているんだ」という事を知らせる為にも実名を出す方がいいと判断して了承しまして、平成10年の2月3日の『産経新聞』で大きく報じられまして、その日に発売された『アエラ』でも詳しく報道されました。

 この記事は新聞協会賞を取った、そういう協会ではノーベル賞を取ったようなものだそうですが(投稿者:途中聴き取れず)、しかしそれだけではまだ、多くの方は知らなかったかも知れませんが、その日の午後の衆議院の予算委員会で西村眞悟代議士が、少女の拉致事件という事で橋本総理大臣に質問をしました。橋本総理大臣は、調査中という事でその時は明確な答えは無かった訳ですが、5月になって従来の6件9人から〜アベックは1件2名で、それが3件ありますので6件9人ですが〜それにめぐみを加えて7件10人を北朝鮮による拉致と認定する事になりまして、その年の警察白書にも掲載されました。

 めぐみの事は、たまたまその日に「日本電波ニュース社」の方(投稿者註:現「ジン・ネット」代表・高世仁氏)がソウルに行って工作員から偽ドル札造りの話を聴く事になっていまして、たまたま成田空港で『アエラ』とか『産経新聞』を買って機内で読む為に持って行った訳です。それを、「今日、日本ではこんな事が話題になったんだ」という事を工作員に話してその雑誌や新聞を見せると、「ああ、この人は知っている」という事をその工作員が話したんだそうです。その工作員はアンミョンジンという名前で、今はもう全国で講演していますし、2日の日には友愛会館で講演をなさいます。その工作員が北朝鮮にいる時に、学校の先輩が「あそこにいる日本語の教師の、女の先生の一番若いのは、自分が日本から連れて来た」と言ったそうです。そして、学生が興味を持って「日本の何処から連れて来たんですか」と聞いたら「ニイガタだ」と答えたそうです。(途中聴き取れず)新潟という地名が出て確実性が増して来ました。

 しかし工作員というのは、腕力なんかは強いかも知れませんけど教養のあまり無いならず者みたいないい加減なのを想像していたんですが、実際にその1箇月くらい後にソウルでお目に掛かった時に、非常に精悍な礼儀正しい青年で、詳しく教えてくれました。知らない所はいい加減に答えずに「知らない」と答えますし、この方の話なら信用出来ると思って、拉致と確信しました。しかし、この先輩の工作員はその後2回も新潟に出入りして、めぐみを探しているポスターを剥がして持って帰ったという事で、そんなに簡単に工作員というのは出入りをしているのかと、ちょっと驚かされました。

 そしてそれを切っ掛けに、めぐみの救出の為の組織が新潟に誕生しまして、そこから発展して現在全国に35の「救う会」が出来、署名も400万人分を総理大臣に提出しております。その頃からだんだん日朝関係が良くなって来まして、日本人妻の帰国が実現したり、それから平成9年の秋に与党訪朝団が〜団長は後の森総理ですが〜「拉致問題」と言うと向こうが承知しないので「行方不明者」として調査をするという約束を取り付けた。それで我々は期待していましたんですが、翌年の6月になって北朝鮮側は「そんな人達は1人もいない」という返事で、両国の関係はストップしました。それからその年の8月、テポドンが日本の上空を飛び越えて太平洋に落ちて、更に翌年には不審船が入って来るという事で(投稿者註:3月の能登半島沖の事件)、どんどん両国の関係は冷え込んで行きました。

 しかし平成14年2月のブッシュ大統領との日米首脳会談のあと、小泉総理大臣が「拉致問題の解決なくして日朝交渉妥結は有り得ない」とはっきり仰いましたし、その頃から国内でも、国会議員の間で救出しようという機運が高まって参りまして、官庁は縦割りで横の連絡が悪いという事なんですが、その為に拉致の専門幹事会というのを作って、当時の安倍官房副長官がそのトップに立って下さいました。それから、(平成13年12月に奄美大島沖で自沈した)不審船を揚げるか揚げないかという事は、揚げる事に決定して実際に引き揚げました。そして、議員の方々は、以前拉致救出の為の議員連盟があったんですが、殆ど休眠状態であったんですが、その後作り直して初代(会長)は現在の石破茂防衛庁長官、2代目は中川昭一現経済産業大臣、そして今は平沼赳夫前経済産業大臣がやって下さいまして、政府との交渉とか渡米して折衝する時に同行して下さるなど、尽力して下さっています。

 そしてその年の9月17日に日朝首脳会談がピョンヤンで開かれました。そして我々はその時に、めぐみは一番年が若いので、目撃情報が〜確認したものばかりではありませんが〜沢山あって、「今日はめぐみの消息が聞ける」と思って楽しみにしていた訳ですが、実際は、詰めの作業をしていると言われて随分待たされた挙句に「お嬢さんは、大変申し上げにくいんですけど亡くなっておられます。が、女のお子さんがいます」という事が伝達されました。詰めの作業をした上での政府の公式の伝達ですから、我々の思いと全然違った訳で愕然と致しました。そして、「結婚した相手は日本人ですか、朝鮮人ですか、女の子は何歳ですか」「めぐみは何時死んだんですか、どうして死んだんですか」と、何を質問しても「いや、それは分りません、分りません」という事だったんです。

 しかし我々は、政府の言う事は間違いないだろうと思って愕然とした訳なんです。しかし翌日になって、外務省の駐英公使の梅本さんという、前の北東アジア課長の方に話を聞きましたら、「それは北朝鮮から、誰が生きてる、誰が死んでると言われた事をそのまま伝えただけで、何の確認もしていない」と言われまして、これでは我々としても信用出来ないという事で、それから我々は、生きているという事を前提に動く事にしました。そして9月末に政府の調査団が行って、死亡したと言われる人の事を調査した訳ですが、8人のうち2人が病死、あとの6人は皆さん不自然な事故死です。石炭ガス中毒で一家全員が死んだり、9月の寒く波の高い時に海水浴に行って心臓麻痺を起こしたり、自動車の殆ど通っていない所で2件も正面衝突事故が起こって即死しています。めぐみは鬱病になって入院中、医者が仕事の為に目を離した隙に自分の衣服を破ってロープを作って首吊り自殺をしたという事です。しかし病院のカルテがおかしいし、唯一の証拠という入退院台帳、そこに死んだら死亡と書きますが、そこに名前が載っているというだけで、それもめぐみの所だけ番号が重複しているという不自然なものです。そして病院の庭の共同墓地に一旦は埋葬したけれど、その後、夫が引き取って帰って、その墓が何処にあるかは分からないと。そして、めぐみ以外の7人は別々の所で別の次期に死んだにも拘らず、1995年の洪水で流されて遺骨は無いなど、納得できる状態ではありません。その北朝鮮側に対する調査の矛盾点や疑問点に関する約150項目の照会を出していますが、1年8箇月経っても未だに回答は来ておりません。

 それから意外と早く、5人の方が10月15日に帰国した訳ですが、先方は一旦返す約束があったと言っていますが〜少なくとも口約束はあったのかなとは思いますが〜しかしそこは犯罪を起こしている訳ですから、日本側は「原状回復すべきだ」という判断をした訳ですが、先方は「約束を破った」という事で、残った家族の帰国を全然認めずに1年5、6箇月の間、膠着状態が続いた訳です。

 そして昨年の秋に平沢さんと松原さん達が北朝鮮と接触して、動きが見えて来ました。それから自民党前副総裁の山崎拓さんと平沢さんが大連で北朝鮮と接触して、その後、藪中アジア大洋州局長と田中外務審議官も接触しました。その報告が5月の7日に行われました。藪中さんという方は歯切れのいい説明をされるのですが、この時だけは前回と違って「原則論を述べ合うだけではなく、もっと突っ込んだ話し合いが出来た。しかし内容は、交渉に差し支えるから御話出来ない」と仰いました。そしてその会合が終ってから家族会で〜この頃、小泉総理の訪朝が噂されておりまして、『産経新聞』は5月23日とか、『毎日新聞』は5月20日頃、それからテレビ朝日系統では6月の20日頃とか、こんな事を言われていたんですが〜反対の声明を出そうという事を話し合いましたが、蓮池さんや地村さん、浜本さんの、子供が向こうに残って帰って来ていない家族は、「首相が訪朝出来ずに我々の子供が帰って来なかったら困るから、そんな声明は出さないで欲しい」という反対が出ました。そこで多数決で決めれば声明を出せたんですけど、分裂を避けてその時は声明を出すのは止めました。

 しかし我々としましては、総理が国交の無い国に2度も続けて行く事自体が異例な事ですし、8人の方を取り返しに行くのであれば政府高官が行けばいい事であって総理が行くべきではない。総理が行けば、そこで拉致事件の幕引きになる恐れがありますから、もしいらっしゃるんであれば、「先方が死亡としていたり入国は事実でないとしている10人の人の解決に目処を付けて頂けないなら訪朝に反対する」という声明を出しました。それから、安倍幹事長や平沼赳夫拉致議連会長も「訪朝には慎重であって欲しい」という事を総理に伝えられておりますし、中曽根元首相も「総理が北朝鮮に行く様な問題ではない」と仰った訳ですが、14日になって「22日に訪朝する」と突然発表されました。それで、周囲の反対を押し切って総理が訪朝を決断されたという事は、単に8人を連れて帰って来るだけではなくて、それにプラスアルファが絶対にあるという事を我々は期待しておりました。例えば、山崎前副総裁は「8人を連れて帰って来て、もう1人連れて来たら野球チームが出来る」なんて言っていましたから、相当皆さんは、行く以上は成果があるのだろうと期待しておりました。

 それで、22日に赤坂プリンスホテルで、控室で待機しておりましたら、テレビを見ていますと「会議が終了した」と出ていました。午前中の会議が終ったのかなと思ったら、中から記者がパーッと飛び出して来まして、会議全体が終了した事が判明しました。しかし、会談が順調にいった場合には早く終る事もあり得るという事だったんで、「うまくいったから早く終ったのかな」と言う人と、「いや、これくらいの事じゃ。1時間ちょっとのうち半分が通訳が話す、あとの半分のまた半分しか話す時間がないのだから、これは何も無かったんじゃないか」という人と、意見が分かれました。

 そして3時過ぎに細田官房長官から交渉の説明がありました。最初に、「5人の方を総理が連れて帰って来るが、曽我さんの家族の方は、ジェンキンスさんが訴追を恐れて日本に来ない」という事で、説得に失敗したという事をまず冒頭で話されました。それに対して家族の中から、「ジェンキンスさんの問題は1年半も前から分っているのに、どうして今迄何の対策も取らなかったのか」という疑問が出ました。

 それから、それ以外の人については、キンショウニチが「拉致問題は解決済みだ」と言っていたんですけど、小泉総理がそれに対して「それでは日本は納得しない」と言ったら、「では白紙に戻して再調査をする様に指示をする」という様な事を取り付けたと言われました。そこで家族から「それは、いつ迄に調査を終えるのか、期限があるのかどうか」とか、「政府が認定していない特定失踪者の方はどうなっているのか」と伺ったら、「いや、分りません」。「では、携帯電話はピョンヤンに繋がるのだから、電話をして下さい」と言ったら、「それは、総理が帰ってから総理に聞いて下さい」という事でした。それから更には、「これは人道支援で、見返りではない」と言いながら25万トンの米の支援が発表されて、そして更に、ピョンヤン宣言を誠実に履行すればという条件付ですけれど〜間も無く特定船舶の入港を阻止する法案が通る時期を迎えているにも拘らず〜経済制裁を行わないという発言をしたという事で、家族としては非常に、想像していたのとは全く違ったもので、(投稿者:途中聴き取れず)、小泉総理の本当の狙いがどういうものなのか心配をしていました。その後、4時過ぎくらいから総理の記者会見があって、それをテレビで見てから我々も記者会見を行った訳なんですが〜細田さんは日本から行った訳ではありませんので、(投稿者:途中聴き取れず)〜その会見では「納得出来ない」という様な話をしました。

 そして、小泉総理大臣が帰って来ました時は〜皆さん心配していたにも拘らず〜「早朝からの交渉、御疲れ様でございました」という形で話がスタートして、私が冒頭に「私達は総理の2度目の訪朝を知った時に、8人を連れて帰るだけじゃなくて、それ以外の人も帰って来ると思った。それが5人しか帰って来なかった。予想した中では最悪の結果になってしまった」という事を話し、それから「米の支援はする、経済制裁はしないというのは納得出来ない」という事を話した訳ですが、その後は皆さん、総理に労いの言葉を掛けました。浜本(雄幸)さんが「総理の御蔭で(甥達が)帰る事が出来ました。有難うございました」と言ったり、心を込めて御礼をした訳なんです。

 しかし中には、「総理は子供の使いか」とか「2度も騙されて、プライドがあるのか」とか、それから、「小泉政権を打倒して、次の総理に解決を託す」という言葉も出ました。労いの言葉もあるし悪い言葉もあったんですけど、テレビというのは、労いの言葉があった事は全く切り取られて、総理に対する非難の言葉だけが出たものですから、国民の中から家族会に対する非難が出た様です。それは22日の会見終了の頃から23日頃に「救う会」に沢山来た様です。しかし、我々は新潟に行っていて、そういう状況を知りませんでした。

 帰ったらFAXが満杯になってまして、私の所へは悪口みたいのはそんなにありませんでしたけど〜その後、手紙が少し来ましたけど〜どちらかというと寧ろ励ましの声が多くて、ただ、「家族の気持ちも分るけれど、やっぱり総理に対する発言は良くない」と書いてある中立的な方もいました。「もう支持しない」なんていうのはほんの僅かでした。非難の原因は、一番多いのは「総理に対して非礼だ」という事と、もう1つは「帰国した人に対する労いの言葉が全然無い」というものです。実際は皆さん、5人の方々が帰って来たという事を勿論歓迎しています。しかし今回、我々が「空港に迎えに行こう」という事を話をしましたら、蓮池透さんを通じて「両親だけが静かに迎えたい」という事で、御両親だけが迎えに行かれた。ですから、空港で「お帰りなさい」という風景は全くありませんから、テレビも映す事は出来ませんし、それから、ホテルに戻った時にそこで対面する場所を作れば歓迎の意思を示せた訳ですけど、我々のいないフロアに直行して部屋に入って、記者会見には御父さんが出て来て、子供さんと御母さんは部屋にこもっていましたので、我々は顔を全然見ていない訳です。ですから、「歓迎していない」とか「自分の子供が帰って来ていないからジェラシーで無視している」というのは全くの誤解で、本人の希望でそういった形を取った訳で、「歓迎の意思が無かった」というのは的外れで、我々としましてはその後、(投稿者:途中聴き取れず)そういう形で御伝えしております。

 それから、「外交というのは拉致だけではない。拉致拉致と騒いだら北朝鮮がミサイルを撃って沢山の人間が死ぬかも知れないから、我々は拉致の巻き添えにはなりたくない」とか、それから、家族が帰って来てそれに国費を出す訳ですけども、「拉致救出の為に血税を使うべきでない」というのもありました。そんな事は政府に言えばいいし、政府に言えば「人道支援であって拉致とは関係無いんだ」と言われるかも知れませんけども、まあそういう的外れな質問もありました。しかし、(投稿者:途中聴き取れず)我々としましては、総理に対する発言はもっと謙虚であるべきで、反省しなければならない事だと思います。総理の訪朝に関する、大体の御報告を申し上げました。

 

◆横田早紀江さん

(拍手で聴き取れず)会場に御招き頂きまして、有難うございます。そして、これ迄の7年間の救出活動の中で、本当に沢山の方々に御支援を頂きまして、沢山の御署名、そしてカンパ、それぞれの心のこもった(途中聴き取れず)を頂きまして、とにかく今日迄頑張ってやって来られました事を本当に感謝致します。有難うございます。

 今、主人が筋道を立てて話してくれましたので御分り頂けたと思いますが、本当にこの拉致問題というのは、私達の様な日本の国民にとって、誰もこんな事が日本の中で行われていたという様な事は本当に考えた事もありませんし、中々信じる事が出来ない様な事でした。めぐみが忽然とあの日の学校帰りに、家のすぐ近くの曲がり角で忽然と煙の様に消えて、そして19年間という長い間、本当に何度捜しても、どんなに色んな事をしても、警察がどれだけ動いて下さっても、めぐみの消息は何一つ出て来ませんでした。私達はすぐ近くの日本海岸を〜寄居浜といいますけども〜海岸を何度も何度も自転車で走ったり、歩いたりしながら、めぐみちゃんの物が何か落ちていないか、小さな小さなアクセサリーであろうがペンであろうが何であろうが、めぐみちゃんの物を捜して、毎日泣きながら捜し回っておりました。

 そしてその間、新潟市内でも色々な事件が起きました。今も怖い事件が沢山起きますけれども、最初に起きた事は、新潟市の焼却炉の中から女性の焼死体が出て来ました。めぐみちゃんかも知れませんという事で、警察が色めき立って私達の所に飛んで見えて、(途中聴き取れず)。本当に恐ろしくて、聴いた瞬間、こんなに体が震えるものかと思えるほど震えて、歯が合わない様な状況の中で見ておりました。けれども、めぐみの腕時計が、バドミントンの強化選手で激しい運動をするものですから、机の引き出しの中に腕時計を置いていっておりました。警察の方は、「腕時計を持って行きましたか?」という事で、見てみましたら置いてありましたので、「今日は腕時計をして行っていません」という事を言いましたら、「そうですか。それじゃ違うかも知れない。違った腕時計が出て来まして、違うかも知れない」という事で色々調べて下さった結果、60歳代の女性の御遺体だという事が分って、ああ、めぐみちゃんでなくて良かった、何と言うか、体中から血の気が無くなる様な思いの中でホッとしたのを憶えております。

 そしてその次は又、すぐ近くの海岸の沖の方から、ちょっと小型の女性の頭蓋骨が漁船の網に引っ掛かって揚がりました。その時も、これはひょっとしたらめぐみちゃんかも知れない、中学生くらいの頭蓋骨かも知れないという事で、前任地の広島の歯科医の先生にすぐに連絡を致しまして、そして「めぐみの歯形のカルテをすぐに送って下さい」と御願いしてすぐに送って頂いて、それをすぐに警察に震えながら届けたのを憶えております。これも本当に幸いな事に、めぐみの歯形と治療痕なんかが違っておりまして、めぐみちゃんじゃなかったという事で、「ああ、良かったですね」と言われましたけど、(途中聴き取れず)。大井埠頭から女性の腐乱死体が揚がったとか、様々な事が次から次へと起こる中で、私達は一生懸命に闘って参りました。

 この拉致事件という事がはっきりしましたのは7年前、本当に初めて、20年目近くになって初めて、「めぐみさんは北朝鮮工作員に拉致されて、北朝鮮のピョンヤンで生きてらっしゃるんですよ」という事で、本当に初めて、めぐみの消息らしい消息が齎されました。しかもそれが、外国の国家犯罪として、工作員が掻っ攫って連れて行ったという事でした。それはめぐみだけではなくて、日本海沿岸から、そして鹿児島の海岸からアベックの方々が3組も、同じ様に連れて行かれたという事を前から聞いておりましたので、「ああーそうだったのか、連れて行かれてたんだ」と思いましたけれども、めぐみが生きていたんだという事が初めて分った瞬間で、私達は本当に嬉しくて〜生きているに違いないと思い続けて暮らして来ましたので〜「わあーやっぱり生きていたんだ、めぐみちゃんに会えるんだ、もうすぐ会える」と思ってました。

 でも、この北朝鮮の問題というのは〜今はもう皆様方もテレビや新聞の報道、本等で御存知と思いますけれども〜世界の中で本当に稀に見る、珍しい独裁体制・恐怖政治の国だという事を知らされました。その様な所に、沢山の日本人が〜丸で大根を引き抜く様にと、私はいつもそう表現するんですけれども〜一生懸命に育てた大根が、本当にきれいに育っている、それを本当に突然引っこ抜いて袋に入れて掻っ攫っていくという、それと丸で同じ様な感じで人間を袋に詰めて、そして、引き揚げられた不審船の、あの様な船の底に転がされて。そして長い長い時間、めぐみは余りに泣き叫ぶので、不審船のあの様な船の底に閉じ込められて、そして40時間も暗い日本海の中を泣き叫びながら、「お母さん助けてー、お母さん助けてー」と、どんな思いで、怖くて怖くて、「何で私がこんな苦しい目に遭わなければならないの」と、泣き叫びながら恐怖に怯えて船底の壁と入り口を掻き毟ったと、アンミョンジンさんの本に書かれてありました。そして向こうに着いた時には、爪が剥がれそうになって血だらけになっていたと書かれてありました。それを聞いた時、本当に恐ろしくて、もう涙も出ませんでした。こんな恐ろしい事をする所が、野蛮な事をする所が今もこの世界の、こんなに平和な日本に入り込んで、そんな事をする国があるんだろうかと、本当に不思議でしょうがありませんでした。そしてアンミョンジンさんに御会いして、めぐみとあちらで御会いになった時の様子を御話し下さった時に、あの娘の笑顔の様子とか、こういう時はこんな風だったという御話を聞かされて、「ああ、もう、めぐみに違いない」と確信致しました。

 そして、アベックの方々の御家族もそうですけれども、有本さんの御夫婦もそうですけれども、ヨーロッパから連れて行かれた方とか色んなタイプがありますけれども、本当に、どれだけこの26年間、本当に悲しい、もう生殺しの状態で、影も形も見えない子供達を捜し回って、暮らして来たかという事、そしてその事が拉致という事であった。そして北朝鮮という国の国家犯罪で、「日本から連れて来い、連れて来い」という指令によって呆気なく子供達を、普通に暮らしている何の罪も無い子供達を連れて行き、ヨーロッパから連れて行って向こうの体制に馴染ませて、向こうの工作員養成の為の日本語教師にするとか(途中聴き取れず)、その様な中でこの長い間、閉じ込められて監視をされながら、いつもいつも「何時助けに来てくれるのか、何時助けに来てくれるか」と星や月を眺めながら、泣きながら、夜は小さな声で歌を歌っていたんだと、曽我さんが仰っていました。本当に、私達がいつも大きな声で家の中で歌っていた歌も、声を出して歌う事も出来ない。そして、言葉も何も知らない中で、怖い怖いと思いながらようやく小さな声で、「朧月夜」や「埴生の宿」や(投稿者:途中聴き取れず)を、どちらも涙を流してめぐみちゃんと歌っていたんですよ、と御話をなさいました。

 本当にこの様な残酷な事が日本の国の中で行われていた事、そしてそれを警察や政府も色々な所である程度知っていたかも知れない、けれどもどうしてこの様な事が放置されてしまっていたのでしょうか。確かに、朝鮮総連の方とか色々な方がこの国に住んでおられますが、(途中聴き取れず)私達には分りませんけれども、私達は新潟に住んでいましたので、マンギョンボン号という船が新潟に入って来る時に何度もあそこに行って、「帰って下さい。もう入って来なくていいです」という事をいつも叫んでいたりしましたけれども、本当に異様な新潟港で、本当に新潟かなあと思う様な事を感じさせられておりました。「あなた達は朝鮮総連の許可を得たんですか」と新潟の港の方が言った事など、ここは日本の港なのに何で朝鮮総連の方に許可を得なければならないのかなあという思いでおりました。そして色々な物が運び出されて行きましたし、色々な人が自由に日本から北朝鮮に渡り、向こうの国会議員という北朝鮮の方々が6名、日本に入っているという事も聞かされています。そして、日本の囚われた人達は、本当にすぐに帰って来られる船があるのに誰も帰って来られない。こんな馬鹿な事があっていいんでしょうかと、船に向かって(途中聴き取れず)毎日メガホンを持って、蓮池さんの御両親と叫んだ事もありました。「私達の子供を返して下さい。この船に乗せて返して下さい」と何度も絶叫しておりましたけれども、その時に、港の警備で立っている人達がポロポロと涙を流しておられました。本当に異様な雰囲気、この様な状態がどうして長引いているのでしょうか。

 私達は家族会を結成して、そして皆で助け合わなければ、独りの力ではどうにもならないという事で結成をしました。そして、沢山の「救う会」が出来、沢山の方々が支えて下さって、私達と一緒に頑張って色々と力になって下さり、米支援の時も、こんな物を向こうにどれだけ多く出しても、本当に苦しんでいる子供達とか飢餓状態の人達に1粒だって渡っている筈がない。その米は全部上の方が、トップが貰ってしまって(途中聴き取れず)、ドルに換えられて、日本や韓国に切っ先を向けているんだという事を知って下さいと。外務大臣も知って下さい、政府の方もそれを分って送るんですか?止めて下さい、それよりも私達の子供達を先ず返して貰って下さいと、何度も座り込み、又はデモをして訴えましたけれども、結局そのお米はあっと言う間に向こうに送られてしまいました。それから、キムジョンナム(金正男)という、キムジョンイルの息子と言われる人が不法入国をした時も、「ああ、これで、こんな大事な人が日本に来ているのを捕まえたのだから、私達の子供達と引き換えに、今度こそカードとして使って下さるんだ。これで解決するかも知れない」と思っておりましたけれども、その時も私達があっと思う間に「早く帰しなさい、帰しなさい」という(田中真紀子)外務大臣の言葉、そして外務省の高官の方達が6名も付いて、飛行機でVIP扱いで、あっと言う間に送り返されてしまいました。こんな大事な人を、どうしてこんな風に帰してしまうんだろうか。けれども、きっと飛行機の中では、国民には何も知らされなくても何か一生懸命、子供達と引き換えに何とか帰して下さいという交渉をして下さっているかも知れないと、私達はまだ外務省の方達に期待をしておりましたけれども、結局この事は何も今も分らないま儘に、帰された儘です。小泉総理大臣に私は手紙を書きました時に、「先日のキムジョンナムという人の送還の本当の意味は何だったのでしょうか」と書きましたけれども、その事に対しての返答は頂けませんでした。

 その様な中で私達は、もう4県を残すくらいになって全国を歩き、全国で訴え、そしてこの様な会や街頭署名を各地でさせて頂いて、「めぐみちゃんを助けて下さい、めぐみちゃんを助けて下さい。有本恵子さん、そして田口八重子さんを助けて下さい」と、本当に一生懸命に叫んで来ました。その頃は、増元さんの御父様もまだ御元気でした。本当に元気な九州男児でいらして、「るみ子を助けて下さい、皆さん。ここに署名して下さい」と叫んでいらっしゃいました。そして、「こんな大変な事が日本で起きているのに、24年間も政府は一体何をしていたんだ!」と大きな声で怒鳴っていらした姿を今も忘れる事が出来ません。けれども、増元さんは本当に、るみ子さんに一目会いたいと一生懸命頑張っていらしたんですけれども、丁度皆さんが、5名の方が御帰りになりましたあの時、丁度その帰られた少し前、病気が悪化致しまして入院をなさって、そして酸素マスクの中から痩せ衰えた御顔で訴えておられました。「私はもうこんなになってしもうたから、るみ子を助けに行く事は出来んけど、必ず帰っておいで、必ず帰っておいで」と、本当にもうテレビの画面を見る事は出来ませんけれども、「るみ子、帰っておいで」と仰っていました。そして、死亡宣告をされた時も、照明さんが御帰りになって「絶対に死んでないから。頑張るから」と御父さんの枕元で仰った時に、増元さんの御父さんは「私は日本を信じる。だからお前も日本を信じろ」と、最後にその言葉を残して天に召されていかれました。

 そしてその2日後に5名の方々が初めてタラップから降りて来られました。照明さんも有本の御母さんも私も、死亡宣告をされましたけれども、「あの5名の後ろから、ひょっとしたらめぐみちゃんが出て来るんじゃないか、恵子さんが、るみ子さんが出て来るんじゃないか、そうだといいなあ」と思いながら、本当に一生懸命にタラップの奥の方を見ておりましたけれども、あの時はまだ私達の子供たちはまだ戻って来られませんでした。けれども、私達が一緒に写真を持って皆さんに訴え続けた、街角に立って叫んでいたあの子供達が(途中聴き取れず)、「あの人達が本当にあのタラップから降りて来たんだ」という感動は大変なものでした。「ああ、やっぱり、あそこから降りて来たんだ。本当に、帰って来たんだ、帰って来て下さったんだ。24年間、よく頑張って生きてて下さった」という思いで一杯でした。そしてそれを一生懸命写真に撮りました。この、苦しんだ親だけしか撮れない所を撮りたいと思って(途中聴き取れず)。

 そして、戻って来られた方々、その中には地村さんの〜「保ちゃん(やっちゃん)」といつも呼ばれていた〜保志さんがいらっしゃいました。保志さんの御母さんも、行方不明になってから、もう本当に、凄い驚愕の余り脳梗塞を起こされて体が動かなくなって、言葉も回らなくなって、いつも床に臥されたままでした。で、地村さんの御父さんの保さんは、何時も御母さんを看護しながら畑を耕し、そしてその合間を縫って独りで、寒い日も暑い日も署名をして頂く為に歩き回っておられました。一軒々々回られて何万名もの署名を独りで集められて、(途中聴き取れず)。そして御母さんはいつも「保ちゃん、保ちゃん、一目会えたら何時死んでもいい」と、回らない舌で、宙に手を浮かせながら「保ちゃん、保ちゃん」と。お見舞いした時も呼んでおられました。「私は元気だから、必ず保ちゃんを助けるから、めぐみちゃんを助けるから、頑張って下さい」と言い続けて来ましたけれども、体の事は本当にもうどうにもならない事で、帰って来られる半年前、もう半年早く保ちゃんが帰って来れば、お母さんが本当に一目、保ちゃんの顔を見て「待ってたよー」と言って、保ちゃんを抱きしめる事が出来たんですが、けれども半年、遅かったんです。保ちゃんに会う事が出来ないで、とうとう天に召されました。そして保志さんは、御帰りになって「御母さん、今帰ったよ、只今帰りました」と、御仏前で本当に泣き崩れておられました。

 どうしてこんな惨い事が起きているのでしょうか。国家犯罪に、日本はどうしてこんなにいつ迄も屈していなければならないのでしょうか。四半世紀もの間、家族がばらばらにされて、そして地獄の様な苦しみの中で、親も子供も違った場所で泣き叫びながら、こうして暮らして行かなければならないのでしょうか。この間も小泉総理の訪朝に際しまして、私達は本当にこの(子供達が御帰りになった)家族が、一家離散されて、また離されているという事に、私達は(途中聴き取れず)思いで見ておりましたから、何とかこの子供達を早く取り返さなければならないと思っておりましたけれども、その事が全ての拉致の解決ではありません。先程も仰っておりました様に(投稿者註:御夫妻の前に講演した大学教授の話の事。)、拉致という事は、物凄い数の日本人、健全な日本の青年が呆気なく連れ去られて、あちらの思想に染められて、あちらの仕事をやらされて暮らしている訳です。帰りたいと思っても、「お母さん、お父さん」と呼んでも聞こえないんです。手紙も出せないんです。声を届けられないんです。そして歯を食いしばって、あちらに馴染んで暮らさなければ生きて行けない訳です。蓮池さんも〜御帰りになった薫さんも〜御帰りになってから仰っていましたけれども、「(拉致されてから)3年間は、私達を必ず日本から誰かが助けに来てくれる、政府が助けに来てくれると、一生懸命に待っていました」と仰ってました。「けれども、3年待っても誰も来てくれなかった。だから『私達はもうここで生きて行くしかない。北朝鮮の人間になって生きて行くしかないんだ』と、180度思いを変えて、北朝鮮の人間として生きて来たんです」と、仰ってました。

 沢山の若者達が、日本にいれば皆様方の御子様と同じ様に高校、大学、そして結婚をし、可愛い子供を生んで暮らしていられたのに、色んな御役に立っていたかも知れないのに、どうして一生懸命育てた子供達がこの様な苦しい目に遭いながら、まだ助ける事が出来ないのでしょうか。北朝鮮は拉致を否定しておりましたけれども、(一昨年の)9月17日、あの日、はっきりと「これは我国がやった事であった」と、はっきりと言いました。そして、それを謝罪しました。「これは遺憾であった」と。その段階になった時に、日本政府は本当に命懸けで、言葉を発して向こうに返還を迫らなければならない。そしてそれがたった5人でなくて、こんなに死亡とされている人が、こんなにおかしい問題が幾らでもあるじゃないかと。私達が言った事、警察からのも含めて150個の疑問点を提出しております。そして、それ(返答)を早く出しなさいと言い続けて来ましたけれども、1年8箇月経ってもあちらからは何の返答もありません。

 この様な時に、小泉総理の訪朝が突然決まりました。あっという間に決まった訳で、日本の一番頂点である方がこの拉致問題の為に訪朝して、そしてキムジョンイル総書記と直接目と目を合わせ、言葉を交わす事が出来るこんな良いチャンスは、もう中々来ないんだと思っておりました。だから私達は、訪朝前に小泉総理に御話をしたいと言いました。けれども、総理は忙しくて会えないという事でしたので、官房長官や藪中局長、(途中聴き取れず)方々と一緒に対面する事が出来て、「どうか小泉総理に伝えて頂きたい。直接にキムジョンイル総書記に会って御話しするこの様な機会はもう二度と来ないのではないか。(途中聴き取れず)本当に、ただ子供達を、拉致された人の家族を連れ戻すだけで終って欲しくない。そして後は、これでもう決着は着きましたと〜もう死亡しているのは間違いないと言い続けている訳ですから〜その様な事を『はいはい』と受けて来て頂きたくない。この様な疑問点をはっきり出しているが、これはどうなんだ、何故出さないんだ、という事をはっきりと総書記に言って下さい。口に出して、怒って来て下さい」と御願いしておきましたけれども、私達は、テレビを見る限り本当に〜皆様御覧になったかも知れませんが〜非常に何か呆気ない、短い時間で終ってしまいました。 

 そしてこれを見た時に、私達は本当にもうがっくりとして、「何も無かったのか」という思いで、経済制裁はしません、物凄い沢山の米の支援をするという事、そういう事はしないと言ってらしたのに「人道援助」という、言葉を替えて凄いものが出て行く、その様な事は私達には本当に考えられない、私は「怒りで一杯です」と言ってしまいました。「いつ迄こんなに悲しい事、苦しみ続けなければならないんでしょうか」と、あの時に申しました。他の方々も、本当に怒りで、この長い年月の苦しみ悲しみ、御父様との死別、御母様との死別、色々な事が起こって来た中で、それは苦しい言葉だったと思います。

 けれどもその事に対して、物凄い抗議の電話や手紙が色々な所に来ております。「今迄、一生懸命に頑張っている人を支援して来たけれど、あの様な言葉を発する様な家族には、もう今後一切支援を致しません」という様な強烈な御手紙もありました。私は、それは、この拉致問題を、大きな問題と捉えて見ていらっしゃらないのではないかと思います。こんなに恥ずかしい目に遭わされ続けてまだ救う事も出来ない。拉致問題で、どれだけ沢山の人が向こうで苦しんで助けを待っているか知れない事を、どうしたら救えるかという事を、私達が怒ったり怒鳴ったり、そして計画して、どうしたらいいかという案を練って、国民全体が、家族も共に、外務省も政府も一つになって、日本国民全部が一生懸命になってあちらに突き付けて行かねばならない、その様な問題と(拍手で聴き取れず)。これはどなたが遭われていたかも分らない程の大きな問題でありますし、これからもこの問題は、放置されて行けば、北朝鮮やあらゆる国から本当に馬鹿にされて、「あの国は何を言っても、あのくらいしか言えないんだ、何とかなる」という思いで、交渉に当られると思います。日本はもっともっと、正しい事に対して強くならなければなりません。

 (拍手で聴き取れず)私達は最初、めぐみの事だけを可哀相だと思って起ち上がったんです。他の方もそうだと思いますけれども、こうやって色々と闘って行きます中で、色々な本当に様々な姿を見せ付けられております。だから、これからも一生懸命に、10人以外の特定失踪者の方も含めて、今も苦しんで助けを求めている人達を救う為に、何としても残った人生を自由にしてあげたいと思っています。どうか皆様、この事は本当に私達だけの問題ではなくて、日本国の大変な大事な問題ですので、どうかそこの所を御分り頂きましてこれからも御支援を頂きます様、(大拍手で聴き取れず)。

 

親日的日本人様
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