拉致はテロだ!今こそ経済制裁を!富山県民大集会

日時:5月9日 午後1時半開場 午後2時開演
会場:富山市県民会館(富山市新総曲輪4-18)
参加:蓮池透さん
   兵本達吉さん(特定失踪者問題調査会理事・救う会全国幹事・家族会顧問)
主催:救う会富山

 

◆特定失踪者問題調査会理事・兵本達吉さん

『拉致事件は国民の皆さんの協力で一歩一歩解決に近付いている感があります。
私は昭和62年の(1987年)のKAL機(大韓航空機)爆破事件をきっかけに拉致事件に関わりました。
蜂谷真由美と名乗る女性(金賢姫)が李恩恵(リウネ・後に田口八重子さんと判明)と言う、北朝鮮に拉致された日本人女性の存在を自白しました。
そこで新潟・福井・鹿児島で起きていたアベック失踪事件(蓮池薫さん奥土祐木子さん・地村保志さん濱本富貴恵さん・市川修一さん増元るみ子さん)との繋がりがあるのではないかと考えました。
失踪したアベックの女性3人のうちの誰かが「李恩恵」ではないかと思い、失踪事件の調査を開始しました。
当時共産党に勤めていた私は党本部から調査を止めるように言われましたが、内緒で調査を進めていました。

3件の失踪事件とも「家出ではないか?」とも言われていましたが、家出の心当たりも現金や荷物を持ち出したり準備をした形跡もなく、「突然行方不明になった」と言う感じでした。
水難事故や通りすがりのトラブルによる事件に巻き込まれたのではないか・・・とも考えました。
当時は「北朝鮮による拉致」などは全く想定していませんでした。
3件の失踪事件を調査している時に、高岡(富山県)での拉致未遂事件を知りました。
蓮池家だけでなく他の失踪者(拉致被害者)の家族は、一家みんなで被害者を捜しました。

アベック失踪事件が起きた新潟・福井・鹿児島と富山は、いずれも北朝鮮から日本を見た時の「上陸ポイント」でした。
そして、それぞれに朝鮮半島との繋がりが深い土地でした。
そう思って世界各地で起きている誘拐事件について国会図書館で調べてみると、北朝鮮による事件が多くありました。
最初は何故北朝鮮が拉致をするのか解りませんでしたが、対南(対韓国)工作ではないかとの疑いが出てきました。
在日朝鮮人に訊くと、あっさりと「それは北朝鮮の拉致だよ」と言われましたが、マスコミに話しても「動機が不明」との事で取り上げられませんでした。

それでも石高さんと協力して調査を進めました。
そして韓国で石高さんが北朝鮮の元工作員と会って、増元さんや蓮池さんの目撃証言を得る事となりました。

調査を進めるうちに横田めぐみさん(拉致当時13歳)の事件等も知りました。
しかし決定的な証拠はなく「拉致事件」は「疑惑」「推測」に過ぎないと、当時の社会党や共産党から言われていました。
一昨年小泉総理が訪朝し北朝鮮が拉致を認めるまで、拉致事件は「拉致疑惑」と呼ばれていました。
これには社会党・共産党の力が強い事、多くの人がまさか北朝鮮による拉致とは思わなかった事、そして、拉致と断定して万が一違っていたら・・・との思いがあったのでしょう。

富山県内では、名前を公表していない人も含めると7名の方が特定失踪者調査会で調査しています。
現在認定されている拉致被害者のみならず、誰が拉致されるか解らないのが現状です。
小泉総理が再訪朝すると言う話も出ていますが、再訪朝して8人を連れて帰国しても拉致事件はまだまだ終わりません。
今後も関心を持ち続けて、支援を御願い致します。』

 

◆拉致被害者家族連絡会事務局長・蓮池透さん

『今日は御集まり頂きありがとうございます。
本来私はこのような高い所から話す立場でもありません。
また「文化人面するな」と批判される事もありますが、そのようなつもりもありません。
最初に皆様には拉致被害者奪還への御支援を頂き、御礼を申し上げます。


弟達が拉致されて帰国するまで24年掛かりました。
24年あればオリンピックは6回行われ、生まれたばかりの子供も成人します。

弟達は誰もが海水浴をするような、普通の海岸から暴力的な方法で拉致されました。
普通の海岸から拉致されたのですから、これは誰にでも起こりうる事です。
そして、この「誰もが拉致されるかも知れない」と言う状況は今も変わっていないのではないでしょうか?

祐木子は目と口をガムテープでぐるぐる巻きにされてボートに乗せられて拉致されました。
ガムテープの隙間から遠くなる柏崎の海岸が見えたそうです。


弟達は、北朝鮮では自分達が日本人である事すらも隠し、嘘で固められた生活を送っていました。
それは食べるに困らないというだけで、自由も何もない生活でした。
弟達は北朝鮮では子供だけが生き甲斐だったそうです。
日本に帰れるなんて思わない事が北朝鮮でのプラス思考だったと。
北朝鮮に居る事が悪夢だと思っていました。
普通の悪夢なら朝になって眼が覚めれば終わってしまいますが、弟達はその悪夢が24年間続きました。

唯一の生き甲斐であった子供達は今もまだ北朝鮮に残されています。
弟達は親子二代に渡って拉致事件の被害に遭っています。
これは北朝鮮の責任と同時に、この状態を放置した日本国の責任も甚大であると思っています。
弟がいなくなって暫らくすると家族の中でも弟の話題は出なくなってしまいました。


一昨年の9月17日、訪朝した小泉総理の頭の中に「横田めぐみさん」の名前はあったでしょうか?
北朝鮮が拉致を認めたのなら、その場で怒って欲しかった、拉致が記されていない日朝平壌宣言を拒否して欲しかった、そして、拉致被害者の5人を日本に連れて帰ると言って欲しかったのです。

弟は24年間放置されていたにも関わらず「日本政府を信じる」「政府の責任者である小泉総理を批判は出来ない」と言います。
私達家族は政府を批判していますが、弟達は政府を批判するような事は一切言っていません。
北朝鮮では政府を批判するような自由すらありませんでした。
そして、北朝鮮でそのような自由のない状態にある日本人がまだまだいるのです。

弟達は24年間、北朝鮮で我慢と辛抱をしてきましたが、まだ子供は北朝鮮に残されています。
これ以上弟達に我慢や辛抱をさせないで欲しいのです。
しかし、小泉総理は帰国した被害者五人に一度短い時間会っただけで、再度の面会を求めていますがそれも実現していません。
それでも5人は「北朝鮮を刺激するような事は言えない」「交渉は日本政府に任せる」と言っています。

帰国した弟に「お前の今の生き甲斐は何だ?」と訊いた事がありました。
弟は「酷な事を訊くな。そんな物はない。」と答えました。
それでも「決してくじけない」と言っていました。

総理を始め、政治家や外務省、外務大臣や福田前官房長官も拉致事件を「他人事」と思っているように感じます。
被害者家族も高齢になっていて、亡くなった方も多くいらっしゃいます。
日本政府は拉致事件の沈静化を狙っているのではないか・・・と思えてしまう程です。』



『一昨年の9月17日、外務省は被害者家族を外務省の飯倉公館に集め、マスコミと隔離しました。
今にして思えば平壌宣言サイン後まで、外部と接触しないよに時間稼ぎをしていたようでした。
そして、北朝鮮が出した「5人生存・8人死亡」の情報を、裏付けも取らずに発表しました。
「8人死亡」は既成事実にされてしまうところでした。

政府は北朝鮮の発表を鵜呑みにして家族会や国民に伝えました。
家族は事実関係を確認するように糾弾しました。
そこで急遽調査団が訪朝する事になりましたが、その調査団も出発の直前になって被害者の身体的特徴などを問い合わせてくる程でした。
政府は拉致事件の解決よりも国交正常化を優先するかのようでした。

拉致被害者が日本に帰国するのは当然の事であって、外交のカードにすべき事ではありません。
私は拉致事件の事が明記されていない平壌宣言によって事態が膠着しているのだと思っています。


帰国した弟に「もっと国に甘えろ」「のんびり温泉にでも行って来い」と言った事があります。
すると弟は「これ以上国に迷惑は掛けられない」「税金で暮らしているなんて思われたくない」と答えました。

4月にイラクで起きた人質事件では政府は対策本部を置き、外務副大臣を派遣するなどして解決に向けて動きました。
しかし北朝鮮による拉致事件では帰国した被害者の為の支援室はあるものの、政府は解決の為の対策本部も作りません。
政党ごとの対策本部があるだけです。

対話と圧力と言っていますが、日本政府は圧力は掛けていません。
対話だけの段階は過ぎ、今後は圧力が必要です。


この会場にマスコミの方もいらっしゃっていますが、マスコミの報道でも「拉致被害者を返せ」とは書きませんし、テレビでも「返せ」と言ってくれません。
マスコミでの拉致事件の扱いも徐々に減っています。
どうか拉致事件を風化させないで頂きたい、日本人としての当事者意識を持って報道して頂きたく思います。


まだ先の話になるでしょうが、拉致事件が解決したら司法の場で国責任を追及する事を考えています。
例え裁判で負ける事となっても国の不作為を司法の場で訴え、記録に残す必要があります。

北朝鮮は5人の帰国は一時帰国との約束があったと言っていますが、政府にはその事についても検証して頂きたいです。

このゴールデンウィークに日朝協議があり、これまでの原則論から一歩踏み込んだ議論があったとの説明を受けました。
但し、その内容については協議中との事で何も知らされていません。

小泉総理が再訪朝するのでは・・・との話も出ています。
現在の膠着状態に風穴を開けられるのであれば、小泉総理の再訪朝を支持します。
総理には決断し、行動を起こして頂きたい。
これまでのような全権を持たない事務レベルの協議では、持ち帰ってそれぞれに国内で話し合い、国内での話し合いの結果を持ち寄ってまた協議する・・・の繰り返しです。
それよりも平壌宣言にサインしたトップ同士で再度会談して話を進めて欲しいと思います。
「一昨年小泉総理が訪朝したのだから、次は向こうから来る番だ」という意見もありますが、北朝鮮はそのような国際的な慣例や常識が通じるような相手ではありません。
小泉総理が再訪朝して、(一昨年帰国した5人の)家族8人が帰国すると、それで拉致事件の幕引きになるのでは・・・との懸念の声もありますが、世論の力があれば幕引きになどさせない事も可能な筈です。


被害者も家族も我慢・忍耐の限界が近く、これ以上は待てません。
これまでに日本政府は北朝鮮に何万トンもの米支援をして来ましたが、一昨年の9月以降は世論の力の御陰で支援を阻止しています。

解決するまで拉致事件を風化させてはならないと思っています。
この拉致事件が有耶無耶にされてしまうようであれば、日本は国家としての体を為さなくなるでしょう。
そうさせない為にも一層の世論の力が必要になります。
国や外務省を世論で監視するよう、皆様の御協力を御願いします。』

りゅうりゅうさん(投稿)
拉致事件を考える掲示板

 

時折激しくなる雨の中、受付開場30分前の午後1時に会場へ到着。
すでに7〜80名の方が、受付を済まされロビーで開場を待っておられる。
救う会富山の古川氏に、大阪からの応援参加の挨拶をする。
同行した支援者と共に、報道関係者受付を担当。
雨よけにタオルやビニールを被せた機材を持った、報道関係者が次々に受付を終える。
どうか、日本人拉致という不当な人権侵害を糾弾して欲しい。
登壇者の弁を歪曲することなく報道して欲しい。
そう声をかけたい気持ちを抑えながら、記者会見会場の案内を伝えた。
報道7〜8社、15〜6名の受付を終え、会場へ入る。

★特定失踪者問題調査会理事
            兵本達吉氏

雨の中をお越しいただき有難うございます。
「拉致問題」は遅々たるものの、一歩一歩解決に向かい前進はしているように思っている。
9.17以降、「拉致」の報道を目にしない日は無いくらい、周知され今では子供でも
知っているほどになっている。
今朝、出掛けに「小泉首相が、来月出迎えをするかもしれない」という連絡が知人から入った。
この件に関しては、今後の状況を見なくては現時点では何もいえない。

「日本人拉致はなぜ発生したのか」ということについて話をしてみよう。
私が、拉致問題に関わるきっかけとなったのは、昭和62年(1987年)11月、
韓国人の労働者を大勢乗せたKAL858便が、ミャンマー沖で爆破されるという事件である。
逮捕された犯人は「蜂谷真由美」という日本人名であった。北朝鮮の女性工作員「金賢姫」は、
「李恩恵」という日本人の教育係りの存在を口にした。
「日本人化教育」を受けたと言う。

昭和53年(1978年)に起きた、蓮池薫さんと奥土祐木子さん、地村保志さんと浜本富貴恵さん、
市川修一さんと増本るみ子さんの「日本海アベック連続失踪事件」の報道を洗いなおしてみた。
「李恩恵」は、この3人の女性の誰かかもしれないと思った。

昭和63年、3組の家族を訪ねた。
私は当時、共産党の秘書課に勤務していたが、党からは北朝鮮の日本人拉致の
調査をやめるように言われた。不破哲郎から、やめるように言われた。
表向きはやめたようにしながらも、調査を続けていたが、やがてバレてしまい党を追放された。

3組の失踪者の失踪当時の様子には、いくつかの共通点があった。
原因を考えた。家出だろうか?
準備が何もされないまま、行方不明になっている。
日常生活の延長のまま、普段着、下駄履きのまま失踪している。
思い当たる「原因」が何もない。

残されたご家族は、海岸線を毎日のようにずっと探しておられた。
事件に巻き込まれたかもしれないと、警察も捜索をした。
溺死だろうか?それとも、不良に暴行を受けたのだろうか?
手がかりの無いまま、ご家族は探し続けておられた。

昭和53年8月15日に富山、高岡市海岸の松林で4人組に襲われたアベックが、
アタマから袋を被せられ担がれたところで、散歩中の犬が吼えたため
袋詰めの2人を残したまま犯人が逃走するという事件があった。(拉致未遂事件)

新潟の柏崎海岸、福井県小浜市、鹿児島県の吹上浜、
これらの場所は朝鮮半島からの上陸ポイントだった。
鹿児島と朝鮮はあまり関係がないのではないか?と思ったが、
吹上浜は御影石の輸入港であり、朝鮮とは繋がりが深く、
古くから貿易が盛んであった。

私は、KAL(大韓航空機)爆破事件での「李恩恵」が、
「日本人教育係り」というのにこだわりがあった。
北朝鮮は何のために日本人を拉致したのか?
国会図書館で世界で起きた誘拐事件を調べてみた。
北朝鮮による誘拐が多くあった。中国の南部、シンガポール、レバノン人の誘拐もあった。

金正日の動機を考えてみた。映画好きの金正日は、
外国人をエキストラに使うために誘拐したのだろうか?
韓国人の映画監督や、女優を誘拐しているではないか。
何十本という北朝鮮の映画を、コマ送りにして見た。
しかし、奥土さんも蓮池さんも(不明の日本人は)映ってはいなかった。
それならば、対南工作のためだろうか?


北朝鮮国内で「金日成個人崇拝」が流行って来ていた。
金日成個人崇拝に反感を持つ在日の総連関係者が離れて行っていた。
彼らは「統一戦線部の拉致工作」だと、あっさりと認めた。
上陸地点の調査のために、佐渡島へも行って見た。
ありとあらゆる資料が用意できた。

マスコミに資料を提示して、取り上げるように言っても信じてもらえなかった。

その頃、大阪の朝日放送プロデユサーの石高建次さんが、取材に来た。
彼と一緒に調査を続けた。

北朝鮮を脱北した、元工作員の安明進氏が目撃証言を行った。
平壌にある、軍事大学で市川修一さんを目撃、会話もしたと言う。
安明進氏は、同じく軍事大学で蓮池薫さんによく似た人を目撃したとも言った。
このことは誰にも言わずにいたが、2002・9・15にご家族に私の口からお伝えした。

石高氏は(サンケイの安倍記者の間違い?)13歳の新潟の少女が、
バトミントンの帰りに北朝鮮に拉致された。彼女は双子の片方だという情報を持っていた。
新潟日報の記事と照合してみた。
横田さんを訪ね伝えると「めぐみに間違いない」と言われた。

社民党、共産党は「疑惑にすぎない」と言い通していた。
昭和53年7月から8月にかけて、アベックが失踪していた。
家族が必死になって探していたにも関わらず、ずっと放置されてきた。
社会党、共産党が大きな力を持っていた。
警察も違っている場合の野党の攻撃を恐れて言えずにいた。

9・17以降、「疑惑」が「確証」に変わり、国民の関心が高まってきた。
家族会や救う会を理解し支援して下さる方々が増えて来た。

以前からここ富山、地元の漁師の間では知れ渡っている。
怪しい国籍不明の船が頻繁に出入りしていること。
舞鶴では怪電波が飛び交っていたことなど。
日本海沿岸で暮らす人々にとって、拉致問題は他人事ではない。

昭和43年、朝日町の水島慎一さんが行方不明になっている。
富山県警に告発し、受理された。
7〜8名の家族から訴えがあり、県下では他に3名の方が特定失踪者と認定されている。
現在認定されている人ばかりか、まだ誰が拉致されてしまうかわからない状況にあるのが現状。
小泉首相が再訪朝し8人を連れて帰れば終わるという話ではない。
引き続き関心を持ち、ご支援をお願いします。



★家族連絡会事務局長
           蓮池透氏

みなさん、こんにちは。
拉致問題に関心を持ち、支援していただいて有難うございます。

弟の薫、祐木子が、昭和53年7月31日に拉致され、一昨年帰国しました。
四半世紀といえば、オリンピックが6回、生まれたばかりの子供が成人式を向かえ
働きだすほどの時間が経っていることになる。

二人は極普通の海岸で、不法侵入の北朝鮮の工作員により暴力的に拉致された。
誰でも拉致される可能性がある。
日本人である限り、同じような思いをする可能性がある。

祐木子は、目と口をガムテープでグルグル巻きにされ、ボートに乗せられた。
テープの隙間から、柏崎の明かりが遠のいて行くのが見えたと言っていた。

弟達は北朝鮮で、偽装し(日本人であることを隠し)嘘で固められた生活をしていた。
子供だけが支えだった。
子供を返してほしい。
弟たちは、日本に帰ることを忘れること、それが北朝鮮でのプラス思考だった。
毎朝目覚めて、天井を見る。
「ここは日本じゃない。夢よ醒めてくれ。」
目覚めて見る天井を、夢だと思いたい。そう思いながら四半世紀を生きてきた。

弟達は帰国後も子供達と離れ離れになり、親子2代に渡り人権蹂躙を受け続けている。

家族が、ある日突然忽然と姿を消した。
捜索もむなしく、何も見つけることはできなかった。
UFOの仕業なのか?神隠しなのか?
次第に家族の間でも、弟の話は出せなくなっていった。

一昨年の9月17日、小泉首相の頭に、13歳で拉致された「横田めぐみちゃん」の名前があったのだろうか?
北朝鮮が拉致を認めた。その犯人が目の前にいるのなら怒ってほしかった。
平壌宣言にサインなどせず、席を蹴って帰ってきて欲しかった。
生存と言われた5人を、今すぐここに連れて来いと言い、即刻連れて帰って欲しかった。


5人は日本政府を信用して待つと言っている。
一国のリーダーの批判は出来ないと言う。
我々家族は政府批判をするけれども、彼らは決して批判をしない。
北では自由はない。
日本では、好きなときに好きなところへ行ける。
25年間、何もしてくれなかったこの国を、まだ信用すると言っている。

帰国後一年半が経った。
一度だけ5人は総理と会う、短い機会を得た。
目の前に現われた総理は「20年だっけ?」と声をかけた。
「25年です。」

今年3月20日に、小泉首相との面会を中山参与を通して申し入れたが、まだ回答はない。

彼らは「子供達のことは心配だけれど、動揺はしていない。」と言う。
長い北での生活で辛抱強くなっている。

弟に「生きがいは何だ?」と聞いたことがある。
「酷なことを聞かないでくれ。生きがいなんかない。でも、耐えることはできる。」そう答えた。

小泉首相は「粘り強く交渉する。」と言っている。
福田(元)官房長官は「交渉は間断なく行っている。」と言う。
外務省は、国連人権委の場で、北朝鮮の反論に反論はしなかった。


一昨年の9・17、日本政府、外務省は、一日で拉致問題を終わりにしようとした。
我々は、マスコミと遮断され、飯倉公館で「宣告」を受けた。
人権、人格、尊厳、何もなかった。
北朝鮮が発表した「5人生存、8名死亡」を、マスコミも確認することもなく「号外」を出した。

家族は猛反発をした。これは政府の予想外の行動だったのだろう。
急遽、調査団が派遣されることになった。
調査団は、本人と断定できる、照合できるものを何も持ち合わせていなかった。
出発当日の朝になって、被害者の特徴を聞いてきた。

再度、小泉首相の訪朝の話がでているが、首相がこの問題のドアを開いたのだから、きっちりと
決着をつけるのが首相の務めではないか。

拉致被害者には25年の取り戻せない空白がある。
政府は「支援室」を作って満足しているようにしか見えない。
弟に「もっと国に甘えろ。」と言うと、
「これ以上国に迷惑はかけられない。税金で暮らしていると思われたくない。」と返ってきた。
北朝鮮外交は党利党略があってのことなのか?

4月にイラクで起きた人質事件では、迅速な対応が取られた。
政府は対策本部を置き、外務副大臣を派遣するなどして解決に向けて動いた。
しかし北朝鮮による拉致事件では、政府に対策本部も置かれてはいない。

政府にはポリシーがない。
自国民を返せと、正々堂々と要求すべきではないのか。

傍観者で、第三者のマスコミも「日本人を返せ!」と、どうして第一面に大きく書いてくれないのか?
当事者意識を持って報道して欲しい。

拉致問題が解決したら、司法の場で国の不作為を追及することも考えている。
裁判で負けることになっても、不作為を記録として残しておくべきではないかと思っている。

一旦5名を返す約束があったと、北朝鮮は言っている。
一年半にわたり「約束破り」だと言い続けている。
この「約束」のことも、検証していただきたい。

政府が原理原則を貫くならば工作もいい。
GW中の日朝交渉、踏み込んだ交渉、具体的な交渉が行われたと藪中局長は記者会見で言っていたが、
どう突っ込んだのか、どう具体的だったのか、我々には一切説明はない。

小泉首相の再訪朝の話がでているが、こう着状態のままの現状に風穴を開けられるのであれば、
支持し期待もしたいと思う。
政府間交渉などの、全権を持たない事務レベルの話では、持ち帰って上に報告。
また持ち寄って協議の繰り返しでしかない。
それよりも、トップ間で会談し、話を進展させてほしい。
そして、どうせ総理が行くのであれば、8人を連れ帰ってほしい。
総理再訪朝で幕引きの懸念の声もあるが、これで終わりではない。

この問題を有耶無耶にさせてしまうと、この国は国としての体を成さなくなってしまう。
今後も引き続き、世論と監視をお願いいたします。

小指さん(投稿)
万景峰号の入港を阻止する会

 

 

 

他にも各地での集会・講演会レポートがございます